今年も後2日
今年も後2日となりました。
今年を振り返ると、3月1日のSpace Withでのライブを皮切りに、6月25日のディズニーランドのDadStock、6月28日のSpace With、8月30日のBumpCity、9月20日のSpace With、そして、11月15日の上野水上音楽堂とライブをやって来ました。
ライブを通じて、多くの方々と知り合えました。
ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。
皆様、よいお年をお迎え下さい。
P.S.
「弾いてみた」コーナーに、Stomy Monday と You Don’t Love Me を追加しました。お時間ありましたら、聞いてみてください。
ライブ終了・・ご挨拶
昨日は、飯田橋の「Space With」でのライブでした。
プレイヤーのご家族の方々、友人の方々、仕事関係の方々・・・
皆さん、お忙しい中、お時間を作っていただき、非常にたくさんの方々に見に来ていただき、たいへんありがとうございました。
機会がございましたら、また、皆さんとお会いできればと思います。
今後も、Booker O. & the NG’s [ エヌジーズ ] をよろしくお願いします。
2次会
ライブが終わった後、近場でということで、ライブ会場から、ぶらぶら歩き、「舟盛り」1,980円に釣られて、1次会の飲み屋さんへ入りました。
こちらは、寄せ鍋。エビ、ホタテ、豆腐、エノキ、春菊、つみれ、鮭・・・・
こちらも、非常に美味しかったです。
ここ、docomoが圏外!ありえない・・・・ぅぅぅ
ヤフオクで入札していたのですが、店を出た後は、すでに終了してました( iдi )
1次会は、9時40分くらいに切り上げ、さ〜!2次会だ!ってことで、カラオケに出陣しました。
NG’sでカラオケに行くのは初めて。
最近のカラオケは、曲が豊富ですね。外国のスタンダードなども結構、揃っています。
「Hoochie Coochie Man」もありました。
伊藤隊員が、熱唱!
こんな感じのアレンジで、レパートリーにいれましょうよ!って話なども!
斉藤は、というと・・・
「吉田拓郎」と「泉谷しげる」ばっかり歌ってましたw
カラオケもたまには楽しくていいですね。
上野ライブ!後記。
昨日、上野のライブも無事終了いたしました。見に来てくれた皆様、この場を借りて御礼申し上げます。
さて、当日はこの秋(?)一番の冷え込みでして、とてもシラフでやってられるか!と言う状況も重なり、ただいま二日酔いです。大江さんは早朝から一杯引っ掛けている状態で、家族のヒンシュクを買っての出動です。11時すぎくらいに皆さん会場入り。今回、ドラムのボンゾ吉田さんがリハに出れませんのでとりあえず軽いサウンドチェック。
これが正式なフライヤー。怪しいおじさんの手にかかると、何のチラシだかさっぱりわかりません。
昼食はちょっと高級なお蕎麦屋さんでプラスビールで。とっても美味しい蕎麦でしたが、上品過ぎてちょっと量が物足りず。かきあげの海老がプリプリで、さいこーだぜ!
当然のごとく、食後はビールやワンカップを仕込んで会場へ。沈着冷静な太田隊長とインフルエンザ一歩手前の斉藤隊員はソフトドリンクで我慢。寒さに耐え切れず、帽子とマフラーを買出しに行った工藤隊員よりメールが。「おでんの屋台発見!」。
伊藤&工藤両隊員は、熱燗、ビールにおでんをつまみ、すっかりほろ酔い気分。さらに伊藤隊員はこの後ワンカップを2本飲み、寒さなんか、へっちゃらだい!状態に。「おでんお誘いメール」に気がつかなかった大江隊員は、悲しそうに一人MP3プレイヤーを聞きながら、寒そうに曲の予習。
で、本番ですが、リハと大違いでステージ上はギターがまるっきし聞こえない状態。酔っ払って間違えたコードを鳴らしていてもしばらくは気づかない。客席ではよく聞こえていたようで・・・・・。
工藤ちゃん、練習のときはものすごく地味に控えめに吹いていたのに・・・・・。騙されました。アンプまでひっくり返して・・・・・。
そして、この日の為の秘密兵器。そうです、ワイヤレスシステムです。上野の広い会場(客席)をものともせず走り回る伊藤&斉藤隊員。いやーこりゃ気持ちいいですわい。野外ステージはワイヤレスに限る!ドラムセットの前から動けない吉田隊員の恨めしそうな目。次回は「ハナ肇スタイル」で前面に繰り出す決意を表明しておりました。
すっかり予定の持ち時間を超過してしまいましたが(確信犯との噂も)、次回は2月頃にライブを画策しております。吉田さんに期待しましょう!
SET LIST 17.Nov.2007 at UENO-SUIJOU-ONGAKUDOU
1.Opening Theme. (I Can’t Turn You Loose)
2.Green Onions.
3.Born Under A Bad Sign. (vcl : ito)
4.Blackhearted Woman. (vcl : ota)
5.Hot ‘Lanta.
6.Dark End Of The Street. (vcl: ito)
7.Statesboro Blues. (vcl : ota)
8.Gimme Some Lovin’. (vcl : ota)
上野水上音楽堂LIVEお疲れさまでした!
Members Profile

バンド名:BOOKER O. & THE NG’s
メンバー
右から、斉藤 智喜(g)、伊藤 正純(g, vo)、大江 公一(b, vo)、吉田 尚人(ds)、太田 浩一(key, vo)
斉藤 智喜(Gt)
小学校時代は、ヤマハのピアノ教室に通っていました。
中学校に入り、卓球部の練習がたいへんだったため、ピアノをやめる。そんな中、吉田拓郎にぞっこんになり、ギターを購入。
吉田拓郎をコピーする毎日を過ごした。中学3年くらいから、ストーンズを聞くようになった。ビートルズは、ほとんど聞いてないです。
高校入学時にフェルナンデスのストラトタイプのギターを購入し、ディープ・パープル、クリームなどのコピーバンドを始める。また、楽器店にて、バイトでギター教室の講師をやっていた。
高校の先輩には、西本明さんがいました。また、杏子(元バービー・ボーイズ)、吉野千代乃は、後輩です。
1978年秋、「獏」というバンドで、ポプコン・つま恋本選会へ出場。入賞ならず・・・・(グランプリは、円広志の「夢想花」)
サザン・ロック、フュージョン(当時クロスオーバーって言われていた)などを経て、大学入学時は、モダン・ジャズ研究会へ入った。在学中より先輩のバンド「So On(騒音)」にて西荻窪にある「アケタの店」にてライブ活動を行っていた。
大学時代の後輩に、鬼怒無月(g)がいました。また、よくセッションしていた中に、池田篤(as)、俵山昌之(b)、作山貴之(g)・・・などがいました。皆さん、プロのミュージシャンとして、がんばっています。
卒業後、フリーで音楽制作などをしていたが、現在、デジタル・コンテンツ制作会社に勤務。
AdobeのDirector、Flashなどでのオーサリングがメインです。
パーソナル・ブログ:tomBlog
伊藤 正純(Gt, Vo)
1962年頃
「ブーフーウー」に衝撃を受ける。
1963年頃
「エイトマン」が未消化の食べ物が入ったビニール袋を、お腹を開けて取り出す姿に衝撃を受ける。
1964年頃
「てなもんや三度笠」の白木みのるに衝撃を受ける。
1967年頃
「ザ・タイガース」に衝撃を受ける。
1969年頃
「フリッツ・フォン・エリック」のアイアン・クローに衝撃を受ける。
1971年頃
「11PM」に凝る。
1972年頃
「吉田拓郎」に影響を受け、はじめて生ギターを入手する。
「エレックレコード」を買い漁る。が、Fのコードが押さえられない。
1972年暮頃
「成毛滋氏」の「日本人総リズム音痴論」に衝撃を受ける。
1973年頃
成毛氏の文中に出てくる「CREAM」の「Crossroads」を初めて聞き、脳天をかち割られるほどのショックを受ける。
以後3年間ほど、日本の音楽を毛嫌いする。
エレキ・ギターを購入する(ギャランの335モデル。チェリーレッド。値引き後、金¥28,000円也)
1974年
「エリック・クラプトン」の初来日公演。生「Layla」に涙する。
初バンド「BLUES POWER」結成。Cream のコピーをする。
中学卒業コンサート出演するも、演奏者の意図に反して笑いを取る。
1975年3月
「バディ・ガイ」初来日。生の「First Time I Met The Blues」にぶっ飛ぶ。
7月、「オーティス・ラッシュ」初来日。生の「Gambler’s Blues」に再度ぶっ飛ぶ。
以降、BLUES〜BLACK MUSIC全般に浸り続ける人生。
初ブルース・バンド、「STONE CRAZY BLUES BAND」結成。メンバーを代えながら1979年まで続く。
1976年頃
授業を抜け出し、阿佐ヶ谷の「CADILLAC BABY」というブルース喫茶に通いはじめる。
マスターの「勅使河原靖」氏に、「バンドやるならコレを聞け!」と言われたのが「Chicago Boogie」と「Raw Unpoluted Soul / Willie Williams」。
1977年頃
都立清瀬高校3年7組でバンド結成。バンド名「BOBO & BRAZILS」。フォーク・ギターしか弾けない大江公一をベースに強制起用。
以後、音楽に目覚めた彼は大学受験を失敗し、人生設計を狂わせる。
1978年頃
一浪の大江公一を尻目に、亜細亜大学入学。音楽サークルに入部(1年先輩に「グレート義太夫」氏)するも体質にあわず、1年で脱会。サークル時代のバンド名は「SOUTHBOUND」。
「GIBSON ES-335」購入。御茶ノ水・下倉楽器にて店員の渡辺さんを拝み倒して230,000円也。
1979年頃
「STONE CRAZY BLUES BAND」でライブ活動開始。初ライブは、上福岡「のらろば」。11月解散。
当時「永井隆とブルーへブン」にいた「吾妻光良」氏と知り合い、彼の後輩「小安田憲司」氏を紹介され新バンド結成に向ける。
何とか大学に入れた大江公一が作ったサークル「日本大学ミュージック&レジャー」に準会員として参加。ここでのバンドは、活動不定期、メンバー不定の「ショーチュー伊藤・ブルースバンド」。
とりあえず、酒の席には欠かせない悪名高い存在となる。この時、太田浩一と出会う。
1980年頃
東大の奇人「松井仁」氏、浜田山の鋼鉄の胃袋「岡地明」氏(後の「BO GUMBOS」岡地曙裕)を加え「LITTLE BOY BLUE」結成。
「東京で一番でかい(音が)ブルースバンド」の異名を取り、都内ライブ・ハウスに多数出演するも、下北沢のナイトクラブ「STOMP」にて、「シーナ」氏に「ダッサイ、バンド名!」と罵られる。
次第に練習時間より飲んでいる時間のほうが多いバンドとなる。
河口湖にて、「早稲田大学ロッククライミング」サークルの合宿に参加。泥酔し従業員の便所に籠城しているところを、吾妻氏・小出斉氏・小安田氏・岡地氏らに取り押さえられる。
前夜、消息不明となった「人見元基」氏とともに「河口湖の2大酔払い男」と呼ばれる。12年後、この時の一部始終は「組曲・いとうクンの唄」として結婚式二次会にて発表される。
1981年頃
西荻窪「Tia Juana」のマスター、石田氏と知り合う。「Cab Calloway」、「Louis Jordan」、「Slim Gaillord」等々、JIVEモノやJUMPモノを聴きまくる。
今度は日大「M&L」の河口湖合宿に参加。後輩の頭、顔にマヨネーズ、ねり歯磨きを塗りたくったまま「急性アル中」にて病院送りにする。
少し反省する。
1982年頃
「LITTLE BOY BLUE」解散。小安田氏が「父がもう長くないらしい」という嘘の常套句に引っ掛かり兵庫へ帰省したため(ちなみに彼は1年後に愛器ES345を抱え、東京へ家出して来る)。
同時期に解散した「CALDONIA」の神東正典氏、立松裕之氏、「CASEY JONES BLUES BAND」の佐藤浩人氏、どこのバンドにいたか忘れた早崎誌生(現スインギング・バッパーズ)氏と新バンド結成。
バンド名「LINDY HOP」。吉祥寺の「曼荼羅」をベースにライブ活動を始める。
1983年頃
吾妻光良氏がサックスを吹くバンド「CHICKEN SINK」結成。早稲田祭で全員パジャマ姿でデビューするも、ライブ数回で沈没。 吾妻光良、人生最大の汚点バンド。
1985年頃
「LINDY HOP」自然消滅。
某運送会社に勤めはじめ、音楽界から足を洗う。
1992年
結婚式二次会パーティ、吉祥寺「のろ」にて開催。再発見され、久々の人前での演奏。
来ていただいたミュージシャンの皆様(敬称略50音順)吾妻光良、石川二三夫、岡地曙裕、神東正典、KYON、小出斉、小町正明、小安田憲司、佐藤浩人、田村光太郎(故人)、戸田龍一、西川文二、早崎誌生、堀江浩之助、牧裕、町田謙介、LEO、その他多数。
すっかり衰えたギターの腕に落ち込み、再度音楽界から離れる。
1997年〜2006年
会社にて労組委員長を9年間務める。酒量衰えること知らず。
2006年
何を思ったか、ギターを弾きだす。大江公一、太田浩一と再会しバンド加入に向かう。
2007年
吉田尚人、斉藤智喜も加わり「BOOKER O. & THE NG’s」結成。
リハビリに励む毎日。
某弱小会社にて、PCのキッティング、設置、保守作業等々の部門に勤務する。 My Blog : Two Steps From The Blues
大江 公一(Bs)
洋楽との出会いは小学4年生の時。好きだった女の子が学校にレコードを持ってきて聴いていたカーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」。
ロックに目覚めたのは、中学にいってから。
ビートルズ、ストーンズを一通り聴いてから、Tレックス、スレイド、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルースなどブリティッシュ・ロックに傾倒していた。その後、ロギンズ&メッシーナ、ポコ、イーグルスなどウエストコースト・
ロックに夢中になりフォーク・ギターを購入。これが初めて手にした楽器らしい楽器である。
しかしながら、最初に弾いた曲は井上陽水の「夢の中へ」だったような記憶がある。コードが簡単だったし,ちょっと女の子にうけた。
現在、大好きなエリック・クラプトンは彼がアメリカに渡った、この頃から聴き始めた。その流れで高校にいってからは、ひたすらサザン・ロック三昧。今のバンドの看板曲にもしてるオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナード、マーシャル・タッカー・バンドなどなど・・・・。そして、3年になって、ギターその1の伊藤正純と同じクラスになり、バンドやるからベースやれ!と脅される。こうして、私のベース弾き人生が始まるわけである。
その後の状況は伊藤氏の紹介文にも記されているが、大学1年の時、キーボードの太田浩一と知り合いバンドを組み、2年生の時に、いっしょに音楽サークルを旗揚げした。他の大学に行っていた伊藤も準会員として引きずり込み、酒まみれ、バイトまみれの4年間だった。何故かバンドまみれではなかった。遊ぶほうが忙しかった。
就職してからは、転職もしたりして、なかなか落ち着かず7年以上ベースを手にすることはなかった。
30歳を過ぎて、ひょんなことから、辞めた会社の同期の男より「バンドをやろう!」と連絡があり、ドラムの吉田尚人を紹介され、太田も後から加入して2年間ほど断続的に活動するも、ギター二人の相次ぐ転勤により、あえなく解散。それから、また15年ほどベースを手にすることはなかった。
しかし50歳に近づいてきた今日この頃、再び青春したい欲求にかられた私は、吉田、太田の両氏を始め15年前のバンド仲間に声をかける。しかし因縁というか、またしても同じギター二人が相次いで転勤になりバンド復活も暗礁に乗り上げてしまったが、どうしても諦めきれない。
私が伊藤を誘いなんとかバンド活動は再開されたが、曲のバリエーションを増やす為にもギターは、もう一人、必要だった。太田が知り合いをいろいろ、あたった結果、加わってくれたのが、このバンドブログの管理者でもある斉藤智喜。ギターその2となる人である。
かくして私を除いては最強のメンバーが集結し、魅惑のオヤジ・ブルース・ロックバンド NG’sがスタートするのであった。めでたし!めでたし!
あっ!私ですけど、本業は子ども相手のキャラクター・グッズ販売やテーマ・パークの運営をやっている会社に勤めてます。
こんな長ったらしい文章、最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
吉田 尚人(Ds)
遺伝?
母親が音楽が好きで、幼少の頃からタンゴやラテン、ロシア民謡を聴いていた。そんなこともあって、大人になってからもラテンフィールの曲が流れると、体が自然に動いてしまう。前世は中南米の人かもしれない。自分でもそのような顔をしていると思う。
昔、サイパンに行ったときチェロモ族に間違えられて、マイティ・モー(K-1の人)みたいな物凄く体の大きい人に肩を組まれ、いかにも親しげに話しかけられたことがあった。うまく話しに乗らないと機嫌を損ねて殺されると思った経験があるので前世はやはり南のほうだと思う。
今のバンド
大江:「吉田さん!!またロックやりましょうよ」
僕:「この歳こいて、もうロックなんてやれるパワーないよ」
大江:「なぁに言ってんすか!!僕も一緒っすっよ!!やりましょうよ!!」
僕:「こいつ、熱すぎる・・・。そんなこと言ったってパワーが相当衰えてるけど」
大江:「大丈夫っすヨ、ソフトな曲を選べばいいんスから」
僕:「そうかぁ、じゃあやってみるか」
ってなことでやるはめになったのはいいけれど練習していくうちに方向性が決まって、だんだんハードな曲になっていき、おかげでこの歳になって体を鍛えるはめになった。ウォーキングにチャりんこ、ウェイトトレーニング等々50まえの僕にとっては映画のロッキーさながらの、あまりにも過酷な日々が続いた。その甲斐があってか知らないうちにメタボから脱出できた。γーGTP安定。血圧安定。高脂血症安定。もう、大江さま、さまで感謝、感謝で気を良くした僕は何を思ったか、斉藤くんから借りたビリー・ザ・ブート・キャンプに挑戦!!が、あえなく撃沈!
僕:「ビリーっ、もうダメだー」
ビリー:「大丈夫だ。頑張るんだ!自分は変われるんだ!!」
僕:「ビリーっ、いまさら僕、変われなくてもいいんだーーーーー。」
それでも僕の身体は絶好調!!
好きなミュージシャン
レッド・ツェッペリン、サンタナ、イエス、グランドファンク、ジェフ・ベック、B.S.T、エルトン・ジョン、アメリカ、ドゥービー・ブラザース、E.L.P、ブレッド、スティーブ・ガットの参加したアルバム、マービン・ゲイ、ジェームス・ブラウン、スティービー・ワンダー、チャカ・カーン、テンプテーションズ、荒井由美、吉田美奈子、その他いっぱい
好きなドラマー
ジョン・ボーナム、カーマイン・アピス、サイモン・カーク、ドン・ブリュワー、マイケル・シュリーヴ、チェピート・アレアス、スティーブ・ガット、村上ポンタ秀一、林立夫、ビリー・コブハム、ダン・ゴットリーブ、トニー・ウィリアムス、エルビン・ジョーンズ、マックス・ローチ、ポール・モチアン、その他いっぱい
好きな食べ物
塩分の多い血圧が上がる食べ物
今楽しいこと
小学校の吹奏楽部でパーカスを教えること。僕が教えるとみんなロックっぽくなってしまう。
工藤 雅夫(Hp)
「脳」の中は「愛」でいっぱいです。
ハープを吹いていると、たまに酸欠状態になって、とてもハイな気分になれるのがハープが好きな理由かも知れません。
音楽は、単純な愛のあるロックンロールが一番好きです。
枕詞「さいこーだぜ!」
- 使用例
- さいこーだぜ!そのフレーズ!
- さいこーだぜ!桃狩り!
Booker Ota(key, Vo)
最近はシンセやピアノより、オルガンですわ。


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