Members Profile


バンド名:THE NG’s
メンバー
右から、斉藤 智喜(g, vo)、伊藤 正純(g, vo)、吉田 尚人(ds)、大江 公一(b, vo)、室町規公人(key)


斉藤智喜斉藤 智喜(Gt)

小学校時代は、ヤマハのピアノ教室に通っていました。
中学校に入り、卓球部の練習がたいへんだったため、ピアノをやめる。そんな中、吉田拓郎にぞっこんになり、ギターを購入。
吉田拓郎をコピーする毎日を過ごした。中学3年くらいから、ストーンズを聞くようになった。ビートルズは、ほとんど聞いてないです。
高校入学時にフェルナンデスのストラトタイプのギターを購入し、ディープ・パープル、クリームなどのコピーバンドを始める。また、楽器店にて、バイトでギター教室の講師をやっていた。
高校の先輩には、西本明さんがいました。また、杏子(元バービー・ボーイズ)、吉野千代乃は、後輩です。
1978年秋、「獏」というバンドで、ポプコン・つま恋本選会へ出場。入賞ならず・・・・(グランプリは、円広志の「夢想花」)
サザン・ロック、フュージョン(当時クロスオーバーって言われていた)などを経て、大学入学時は、モダン・ジャズ研究会へ入った。在学中より先輩のバンド「So On(騒音)」にて西荻窪にある「アケタの店」にてライブ活動を行っていた。
大学時代の後輩に、鬼怒無月(g)がいました。また、よくセッションしていた中に、池田篤(as)、俵山昌之(b)、作山貴之(g)・・・などがいました。皆さん、プロのミュージシャンとして、がんばっています。
卒業後、フリーで音楽制作などをしていたが、現在、デジタル・コンテンツ制作会社に勤務。
AdobeのDirector、Flashなどでのオーサリングがメインです。
パーソナル・ブログ:tomBlog


伊藤正純伊藤 正純(Gt, Vo)

1962年頃
「ブーフーウー」に衝撃を受ける。
1963年頃
「エイトマン」が未消化の食べ物が入ったビニール袋を、お腹を開けて取り出す姿に衝撃を受ける。
1964年頃
「てなもんや三度笠」の白木みのるに衝撃を受ける。
1967年頃
「ザ・タイガース」に衝撃を受ける。
1969年頃
「フリッツ・フォン・エリック」のアイアン・クローに衝撃を受ける。
1971年頃
「11PM」に凝る。
1972年頃
「吉田拓郎」に影響を受け、はじめて生ギターを入手する。
「エレックレコード」を買い漁る。が、Fのコードが押さえられない。
1972年暮頃
「成毛滋氏」の「日本人総リズム音痴論」に衝撃を受ける。
1973年頃
成毛氏の文中に出てくる「CREAM」の「Crossroads」を初めて聞き、脳天をかち割られるほどのショックを受ける。
以後3年間ほど、日本の音楽を毛嫌いする。
エレキ・ギターを購入する(ギャランの335モデル。チェリーレッド。値引き後、金¥28,000円也)
1974年
「エリック・クラプトン」の初来日公演。生「Layla」に涙する。
初バンド「BLUES POWER」結成。Cream のコピーをする。
中学卒業コンサート出演するも、演奏者の意図に反して笑いを取る。
1975年3月
「バディ・ガイ」初来日。生の「First Time I Met The Blues」にぶっ飛ぶ。
7月、「オーティス・ラッシュ」初来日。生の「Gambler’s Blues」に再度ぶっ飛ぶ。
以降、BLUES〜BLACK MUSIC全般に浸り続ける人生。
初ブルース・バンド、「STONE CRAZY BLUES BAND」結成。メンバーを代えながら1979年まで続く。
1976年頃
授業を抜け出し、阿佐ヶ谷の「CADILLAC BABY」というブルース喫茶に通いはじめる。
マスターの「勅使河原靖」氏に、「バンドやるならコレを聞け!」と言われたのが「Chicago Boogie」と「Raw Unpoluted Soul / Willie Williams」。
1977年頃
都立清瀬高校3年7組でバンド結成。バンド名「BOBO & BRAZILS」。フォーク・ギターしか弾けない大江公一をベースに強制起用。
以後、音楽に目覚めた彼は大学受験を失敗し、人生設計を狂わせる。
1978年頃
一浪の大江公一を尻目に、亜細亜大学入学。音楽サークルに入部(1年先輩に「グレート義太夫」氏)するも体質にあわず、1年で脱会。サークル時代のバンド名は「SOUTHBOUND」。
「GIBSON ES-335」購入。御茶ノ水・下倉楽器にて店員の渡辺さんを拝み倒して230,000円也。
1979年頃
STONE CRAZY BLUES BAND」でライブ活動開始。初ライブは、上福岡「のらろば」。11月解散。
当時「永井隆とブルーへブン」にいた「吾妻光良」氏と知り合い、彼の後輩「小安田憲司」氏を紹介され新バンド結成に向ける。
何とか大学に入れた大江公一が作ったサークル「日本大学ミュージック&レジャー」に準会員として参加。ここでのバンドは、活動不定期、メンバー不定の「ショーチュー伊藤・ブルースバンド」。
とりあえず、酒の席には欠かせない悪名高い存在となる。この時、太田浩一と出会う。
1980年頃
東大の奇人「松井仁」氏、浜田山の鋼鉄の胃袋「岡地明」氏(後の「BO GUMBOS岡地曙裕)を加え「LITTLE BOY BLUE」結成。
「東京で一番でかい(音が)ブルースバンド」の異名を取り、都内ライブ・ハウスに多数出演するも、下北沢のナイトクラブ「STOMP」にて、「シーナ」氏に「ダッサイ、バンド名!」と罵られる。
次第に練習時間より飲んでいる時間のほうが多いバンドとなる。
河口湖にて、「早稲田大学ロッククライミング」サークルの合宿に参加。泥酔し従業員の便所に籠城しているところを、吾妻氏小出斉氏・小安田氏・岡地氏らに取り押さえられる。
前夜、消息不明となった「人見元基」氏とともに「河口湖の2大酔払い男」と呼ばれる。12年後、この時の一部始終は「組曲・いとうクンの唄」として結婚式二次会にて発表される。
1981年頃
西荻窪「Tia Juana」のマスター、石田氏と知り合う。「Cab Calloway」、「Louis Jordan」、「Slim Gaillord」等々、JIVEモノやJUMPモノを聴きまくる。
今度は日大「M&L」の河口湖合宿に参加。後輩の頭、顔にマヨネーズ、ねり歯磨きを塗りたくったまま「急性アル中」にて病院送りにする。
少し反省する。
1982年頃
LITTLE BOY BLUE」解散。小安田氏が「父がもう長くないらしい」という嘘の常套句に引っ掛かり兵庫へ帰省したため(ちなみに彼は1年後に愛器ES345を抱え、東京へ家出して来る)。
同時期に解散した「CALDONIA」の神東正典氏、立松裕之氏、「CASEY JONES BLUES BAND」の佐藤浩人氏、どこのバンドにいたか忘れた早崎詩生(現スインギング・バッパーズ)氏と新バンド結成。
バンド名「LINDY HOP」。吉祥寺の「曼荼羅」をベースにライブ活動を始める。
1983年頃
吾妻光良氏がサックスを吹くバンド「CHICKEN SINK」結成。早稲田祭で全員パジャマ姿でデビューするも、ライブ数回で沈没。 吾妻光良、人生最大の汚点バンド。
1985年頃
LINDY HOP」自然消滅。
某運送会社に勤めはじめ、音楽界から足を洗う。
1992年
結婚式二次会パーティ、吉祥寺「のろ」にて開催。再発見され、久々の人前での演奏。
来ていただいたミュージシャンの皆様(敬称略50音順)吾妻光良石川二三夫岡地曙裕、神東正典、KYON小出斉、小町正明、小安田憲司、佐藤浩人、田村光太郎(故人)、戸田龍一、西川文二早崎詩生、堀江浩之助、牧裕町田謙介LEO、その他多数。
すっかり衰えたギターの腕に落ち込み、再度音楽界から離れる。
1997年〜2006年
会社にて労組委員長を9年間務める。酒量衰えること知らず。
2006年
何を思ったか、ギターを弾きだす。大江公一、太田浩一と再会しバンド加入に向かう。
2007年
吉田尚人、斉藤智喜も加わり「BOOKER O. & THE NG’s」結成。
リハビリに励む毎日。

そして2013年
27年ぶりのブルースバンド結成。
その名も恥ずかしい セクスィー高村&R-50 BLUES PROJECT
そしてそして、30年来の夢だったニューオリンズ・バンドも結成!
この名も恥ずかしい Berry伊藤 & DEW DROPPERS
今や、会社員は仮の姿状態・・・・・。
My Blog : Two Steps From The Blues


大江公一大江 公一(Bs)

洋楽との出会いは小学4年生の時。好きだった女の子が学校にレコードを持ってきて聴いていたカーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」。
ロックに目覚めたのは、中学にいってから。
ビートルズ、ストーンズを一通り聴いてから、Tレックス、スレイド、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルースなどブリティッシュ・ロックに傾倒していた。その後、ロギンズ&メッシーナ、ポコ、イーグルスなどウエストコースト・
ロックに夢中になりフォーク・ギターを購入。これが初めて手にした楽器らしい楽器である。
しかしながら、最初に弾いた曲は井上陽水の「夢の中へ」だったような記憶がある。コードが簡単だったし,ちょっと女の子にうけた。
現在、大好きなエリック・クラプトンは彼がアメリカに渡った、この頃から聴き始めた。その流れで高校にいってからは、ひたすらサザン・ロック三昧。今のバンドの看板曲にもしてるオールマン・ブラザーズ・バンドやレイナード・スキナード、マーシャル・タッカー・バンドなどなど・・・・。そして、3年になって、ギターその1の伊藤正純と同じクラスになり、バンドやるからベースやれ!と脅される。こうして、私のベース弾き人生が始まるわけである。
その後の状況は伊藤氏の紹介文にも記されているが、大学1年の時、キーボードの太田浩一と知り合いバンドを組み、2年生の時に、いっしょに音楽サークルを旗揚げした。他の大学に行っていた伊藤も準会員として引きずり込み、酒まみれ、バイトまみれの4年間だった。何故かバンドまみれではなかった。遊ぶほうが忙しかった。
就職してからは、転職もしたりして、なかなか落ち着かず7年以上ベースを手にすることはなかった。
30歳を過ぎて、ひょんなことから、辞めた会社の同期の男より「バンドをやろう!」と連絡があり、ドラムの吉田尚人を紹介され、太田も後から加入して2年間ほど断続的に活動するも、ギター二人の相次ぐ転勤により、あえなく解散。それから、また15年ほどベースを手にすることはなかった。
しかし50歳に近づいてきた今日この頃、再び青春したい欲求にかられた私は、吉田、太田の両氏を始め15年前のバンド仲間に声をかける。しかし因縁というか、またしても同じギター二人が相次いで転勤になりバンド復活も暗礁に乗り上げてしまったが、どうしても諦めきれない。
私が伊藤を誘いなんとかバンド活動は再開されたが、曲のバリエーションを増やす為にもギターは、もう一人、必要だった。太田が知り合いをいろいろ、あたった結果、加わってくれたのが、このバンドブログの管理者でもある斉藤智喜。ギターその2となる人である。
かくして私を除いては最強のメンバーが集結し、魅惑のオヤジ・ブルース・ロックバンド NG’sがスタートするのであった。めでたし!めでたし!
あっ!私ですけど、本業は子ども相手のキャラクター・グッズ販売やテーマ・パークの運営をやっている会社に勤めてます。
こんな長ったらしい文章、最後まで読んでくださり、ありがとうございます!


吉田尚人吉田 尚人(Ds)

遺伝?

母親が音楽が好きで、幼少の頃からタンゴやラテン、ロシア民謡を聴いていた。そんなこともあって、大人になってからもラテンフィールの曲が流れると、体が自然に動いてしまう。前世は中南米の人かもしれない。自分でもそのような顔をしていると思う。

昔、サイパンに行ったときチェロモ族に間違えられて、マイティ・モー(K-1の人)みたいな物凄く体の大きい人に肩を組まれ、いかにも親しげに話しかけられたことがあった。うまく話しに乗らないと機嫌を損ねて殺されると思った経験があるので前世はやはり南のほうだと思う。

今のバンド 

大江:「吉田さん!!またロックやりましょうよ」

:「この歳こいて、もうロックなんてやれるパワーないよ」

大江:「なぁに言ってんすか!!僕も一緒っすっよ!!やりましょうよ!!」

:「こいつ、熱すぎる・・・。そんなこと言ったってパワーが相当衰えてるけど」

大江:「大丈夫っすヨ、ソフトな曲を選べばいいんスから」

:「そうかぁ、じゃあやってみるか」

ってなことでやるはめになったのはいいけれど練習していくうちに方向性が決まって、だんだんハードな曲になっていき、おかげでこの歳になって体を鍛えるはめになった。ウォーキングにチャりんこ、ウェイトトレーニング等々50まえの僕にとっては映画のロッキーさながらの、あまりにも過酷な日々が続いた。その甲斐があってか知らないうちにメタボから脱出できた。γーGTP安定。血圧安定。高脂血症安定。もう、大江さま、さまで感謝、感謝で気を良くした僕は何を思ったか、斉藤くんから借りたビリー・ザ・ブート・キャンプに挑戦!!が、あえなく撃沈!

:「ビリーっ、もうダメだー」

ビリー:「大丈夫だ。頑張るんだ!自分は変われるんだ!!」

:「ビリーっ、いまさら僕、変われなくてもいいんだーーーーー。」

それでも僕の身体は絶好調!!

好きなミュージシャン

レッド・ツェッペリン、サンタナ、イエス、グランドファンク、ジェフ・ベック、B.S.T、エルトン・ジョン、アメリカ、ドゥービー・ブラザース、E.L.P、ブレッド、スティーブ・ガットの参加したアルバム、マービン・ゲイ、ジェームス・ブラウン、スティービー・ワンダー、チャカ・カーン、テンプテーションズ、荒井由美、吉田美奈子、その他いっぱい

好きなドラマー

ジョン・ボーナム、カーマイン・アピス、サイモン・カーク、ドン・ブリュワー、マイケル・シュリーヴ、チェピート・アレアス、スティーブ・ガット、村上ポンタ秀一、林立夫、ビリー・コブハム、ダン・ゴットリーブ、トニー・ウィリアムス、エルビン・ジョーンズ、マックス・ローチ、ポール・モチアン、その他いっぱい

好きな食べ物

塩分の多い血圧が上がる食べ物

今楽しいこと

小学校の吹奏楽部でパーカスを教えること。僕が教えるとみんなロックっぽくなってしまう。


室町規公人室町規公人(Key)

1959年東京生まれ。
洋楽好きの母親が一日中つけていた「FEN」でポップス・ジャズ・カントリーを聞いて育つ。
 
小学生時代にラジオの深夜放送を通じて日米のフォークやロックに夢中になり、質流れで買った3000円のクラシックギターでギターを始める。
 
当時お気に入りのサイモンとガーファンクルの主要曲はほとんどカバー。
中学に入って初めてのバンド結成。はっぴいえんどや西海岸ロックに影響を受け、オリジナル曲を中心に活動。この頃初めて買ったエレキは憧れのジム・メッシーナにならってグレコのテレキャスター。
高校に入ると同級生らとディープパープルやバッドカンパニーのコピーバンドを結成。ギターが既に3人もいたため、独学でキーボードを始める。
 
大学を経て社会人になってからは音楽と離れ、北海道から沖縄まで全国転勤のサラリーマン生活。
2015年に定年退職し、第二の人生は再びバンド活動と考えていたところ、中学高校時代の友人を通じて知り合った大江氏からお声掛け頂き、2016年6月にNGsに参加しました。
 
最も敬愛するミュージシャンは大瀧詠一とキャロル・キング。好きなジャンルは「アメリカンポップス」。
その源流であるカントリーやソウル、ブルース、ジャズ、ロック等全てのアメリカ音楽に惹かれています。
キーボードはずっと自己流だったので、17年2月からジャズピアノ教室に通い始め、テンションコードの勉強と今更ながら初歩のハノンの練習に明け暮れています。