2009年9月の投稿

昨日、高校の同級生、S塚氏がまたも上京した。
彼のことは、こちらのブログにて再度ご確認ください。
先月のお盆休みに上京(帰郷)したばかりなのに、会社の会議で再びやって来たのである。


Mr.S塚@東京フロム尼崎のマクヴァウティ大和氏と飲むときも東京駅の八重洲近辺だが、S塚氏とも前回同様「紅とん・日本橋本店」である。
やはり「やきとん」&「ホッピー」というのが、手ごろに早く酔えて良い。
前回からモザイクなしになったS塚氏。
「高校の同級生たちにメールを送る」の図。
ちなみに手さばきは、かなり遅い。。。。。。
相変わらず、神戸界隈で怪しいオヤヂたちとセッションを繰り広げているそうだ。


高校3年の時、クラスでバンドを作った。
もう、10月頃だったと思う。受験目前である。
クラス内バンドなのに、よく楽器のパートが揃ったものだ。
というか、生ギター派のOOEさんは強引にベースに転向させられたと言っても過言ではなかったか・・・・・。
いまでは、すっかりベース暦30年超であるが。あそこで、人生狂ったな。。。。。
ドラムも間違いなく初心者であった。「リズムの止まるドラマー」という凄いニックネームだった。

当然、ブルースバンドではない。
クラプトンあたりを楽しむって感じだ。

S塚氏は私同様ギターを弾いていた。

そもそも、なぜバンドを?

夏休みに、9月の文化祭(当時、母校は「文化祭」ではなく「学芸発表会」という陳腐な名称であった)にむけてのクラスの出し物である、8ミリビデオの映画作成で盛り上がった。
あ、8ミリと言っても、今の8ミリビデオではない。映写機と言ったほうがわかりやすいか?
これが終わって、さぁ!受験勉強だ!と、ならずに、なぜかキャンプに行った。
そこで盛り上がって、バンド作ろう!という話になったと記憶している。


32年前の高校生これが証拠写真。
左から、S塚・私・OOE。
OOE氏、数少ないギターを弾く写真でもある。

ちなみに、場所は正丸峠。


この3名に、ドラム初心者のE。
キーボードに、スミレ姐さん(仮名)。

バンド名は、 “BOBO”。

コーラスに女性陣3名を入れて、この3名が”BRAZILS” 。
彼女たちの怒声、いや、さわやかな歌声が、なかなかに耳に突き刺さったものである。

都立K高校3年7組に、 “BOBO & BRAZILS” というバンド誕生である。

単純に、クリスマスコンサートをやろう!という集まりであったような気もするが。

ちなみに、翌年の春、S塚氏とOOE氏に届いた便りは、「桜散る」。
当然と言えば、当然か・・・・・・・・。

追記
そういえば、マクヴァウティ大和氏、最近静かですね。
金欠のため、大阪へとんぼ帰りなのでしょうか?

安易だが・・・・・・・・・。
”F”特訓シリーズ第2弾。

昨日の話は「”F”のキーの曲が苦手」という話。
今日の話は、ギターを一度は弾こうとした人が最初に陥る難関、”F”のコードの話である。

私が初めてギターを手にしたのは中学1年生のこと。
以前にも書いたが、親の知人から借りたフォークギターである。
周りにギターを弾ける人がいないということもあり、まずは「新譜ジャーナル」とか「ガッツ」とかいう雑誌のコード譜が先生になる。
知らないというのは恐ろしいことで、最初はコード譜(というか、ダイアグラムと言うのでしょうか)を上下逆さまに読んでいた。
つまり、Cのローコードなら、2弦の1フレット+4弦の2フレット+5弦の3フレット・・・・・・と押さえるところを、5弦の1フレット+3弦の2フレット+2弦の3フレット・・・・・・・という具合だ。
そりゃひどいもんだ!と皆さん思われるだろうが、何せ押さえるのが必死で鳴ってる音どころの騒ぎじゃない。
しかも、きちんと押さえられていないから、満足に音も出ていない状況。どこが変か全くわかっていないのだ。
ただ、さすがにこれは違う、と僅か3日で気づいた(なに?気づくのが遅い?)。

こういった苦労をしながら、指先の激痛に耐えながら、何とかギターの練習を毎日続けるのだが、ここでやってくるのは「Fの壁」である。
バレーコードの登場である。
例えば、C→Em→F→G なんて循環コードにも必ず F は登場する。
Fのローコードもあることはあるが、あまりポピュラーとは言えない。
どちらにせよ、これをマスターしなければ次には進めないのである。

でも・・・・・・人差し指を伸ばして、それで6本の弦をすべて押さえるなんて!!む、無理だぁ~っ!!

ここで、必死に練習すれば上達するものであるが、何とか楽をしたいと思うのが人の常である。
私も考えたね。

ブリキのようなものを、人差し指の内側に貼り付けてみた。
ちょっと、わからないね。
わかりやすく言えば、ボトルネックを人差し指にはめたようなものである。
おおおおおおっ!!!なんと!きれいに音が出るではないかっ!!!
感動である。
嬉しくて涙が出そうになった。

その後、すぐに悲しくて涙が出そうになった。
人差し指は、添え木をしているようなものなので、曲がらないのだ。
今度はローコードを押さえることが出来ないのだ。。。。。。。
まぁ、すべてのコードをハイコードで押さえるという手も無くはないが・・・・・・。

素人というのは、いったい何を考えるかわかったものではない。
しかし・・・・・・陳腐だった・・・・・・・・・。
若い頃、この話を吾妻光良さんにして、死ぬほど笑われてから封印していた。


Door to door
さて、個人的に懐かしいところでは、ちょっと辛い F のウォーキングベース。
Otis Rush の “So many roads” だ。

ラッシュは若い頃にかなり影響を受けたブルースマンだ。
“So many roads”は特に素晴らしい。
イントロのえぐさ、がっちりしたウォーキングベース、ふりしぼるようなボーカル、そしてギターソロには大喝采である。

意外と知られていないが、なんとこのバックギタリストはマット・ギター・マーフィだったりもする。

Door to door
ラッシュといえば、やはりコブラ時代の作品が群を抜いているのは周知の事実。
ただちょっと、むらっ気があるのか意外と駄作もあったりする。
妙にポップ調な曲や、ちょっと無理のあるバラードとか。まあ、これは製作側の問題かもしれないが。
しかし、この “So many roads” や、数年後に発表された “Gambler’s Blues” など、極上のブルースはちょっと他に類を見ないような出来映えだ。

レーベルを転々とし、レコーディングしながらも作品が陽の目を見なかったり(この So many roads も 「Door to door」のLP化で知られることとなった)、ギャラを満足にもらえなかったりと、いつの間にかラッシュはミスター・バッド・ラックと呼ばれるようになったのが虚しい話である。


Door to door
この”Door To Door” という名作LP、ラッシュとアルバート・キングのカップリングである。
なぜこの組み合わせ?単にサウスポー同士だから??
二人とも1960年頃の録音だが、別に同じセッションというわけではない。

実は、アルバートの1953年のデビュー作も収められている。これがまた、思いっきりいなたい。
ミシシッピ出身のアルバートの面目躍如?バックにジョン・ブリムが入っているのも興味深い。

しかし、この7年後にはモダンなアルバートに変身。STAXでの活躍となっていくのである。

ちなみに、このLPの1曲目。
私の30年来のレパートリーでもあります。はい。

一昨日の土曜のこと、スウィンギング・バッパーズの数名の皆さんたちと吉祥寺のハモニカ横丁にて飲んだ。
そのとき、去る7月5日の House Rent Party にて、私はキーがAの曲を強引に西川文二さんに吹かせてしまった話になった。
確かに、管楽器と”Key of A” では、ウナギと梅干しの食い合わせの悪さくらいに嫌がられるものであろう。

で、今度は、そもそも♭系の管楽器が多いジャズ系のミュージシャンの方々との呑みの場で、あえて「”F”がちょっと苦手なんですよねぇ・・・」なんて言ってしまった私がバカだった。
怒涛の集中砲火である。

ブルース系の曲は、割とEやAが多かったりする。
これは開放弦を多用したウォーキングベースなどの影響があったりするのだろうか?
個人的には、管楽器のミュージシャンとの関わりがあまりなかったせいか、比較的そのへんのキーの問題は結構無知だったりする。
やはり、弾きやすさというよりは、ボーカルのベストの部分で曲のキーを決定することがほとんどであった。
極論で言うと、自分の最高音に合わせてキーを決めたりしていた。
正直、声の音域の幅があまりないので、ボーカルで調整というのは少々きついのである。

結果として”F”の曲がうまく歌と合致することがなくこの歳になった次第である。
”B♭”が意外と得意だったりするのは、上記の理由でもあったりする。

しかし・・・・そんな言い訳など通じるわけもなく、左右に陣取った牧さん、西川さんの両先輩より集中砲火を浴びることと相成ったわけである。


MOSKOW吉祥寺で呑んだ店は、ハモニカ横丁内の “MOSKOW“。つまり「モスクワ」ね。
最近外呑み(屋外呑み?)にやたらこだわる吾妻光良さんのリクエストによる。
実は3Fが屋上?らしいが、残念ながら1Fのカウンターで呑む。

もちろん、吉祥寺ではちょっとうるさい牧裕さんご紹介の店だ。


同じ袋に・・・。さて、ワインも3本消費したので、そろそろ帰宅の途に。

あああ、どちらが私ので、どちらが吾妻さんのかわからなくなってしまった。。。。。。。
(持つ人、西川さん)

そして、同じ方向に向かう電車に同乗した御大、牧さん。
先に降りられる牧さん、別れ際に・・・・・・
「”F”、しっかり勉強せえよっ!!」


はいっ!申し訳ございません!

実は黙ってましたが、E♭のほうがもっと苦手なんです・・・・・・・・。

Mr.Tatematsu7月5日の “House Rent Party” 、様々な方がやってきてくれた。
その中でも20年ぶりの再会を果たした立松裕之さんの発掘(?)は、なかなかのものであった。
ある手を使い、勤務先らしき職場を探し、6月の中旬にコンタクトをとることができたのである。
そして、当日は20数年ぶりのご対面となった。
彼とは “LINDY HOP” というバンドで2年弱くらいであろうか?一緒に演奏した仲である。

あ、そうそう、マクさん!”Gotta move on up” の小安田さんのバックは立松さんですよ。
(すいません、業務連絡でした)


で、その3日後のことである。
仕事で某社に顔を出すことになったのだが、
「う~ん!ここって立松の勤め先じゃなかったかなぁ???」

自分の社に戻り、ちょっと立松氏にメールを入れてみたら・・・・・・速攻で返信が。
「いとおさぁ~ん!! どっかにいた?もなにも、隣の部屋にいましたよ!!」

おおおっ!そ、そうだったか~!
すごいなぁ!20年以上もやり取りがなかったのに、再会の3日後にこんなことがあるなんて!

それから約2ヶ月。
立松氏の社の仕事が受注でき(変な裏の手は使っておりません)、昨日9月1日の作業と相成り私もちょいとお手伝いに行ってきたのである。
今回は事前に連絡を入れておいたので会うことが出来たわけだ。
まぁ、こんな珍しい機会も滅多にあるわけないので、業務終了後に2時間半ほど二人で昔話に花を咲かせ軽く一杯。
かつてのバンド時代には、それほど呑まなかった彼もいっぱしに(しつれい!)旨そうに日本酒を呑んでる。
うん、お互いいい歳ではあるのだが。
でも、懐かしい話をしてると、すっかり当時の気分で若いつもりになれるのはいいよね。


大松なかなかに呑み慣れてるようで、旨い店を教えてもらった。
神田駅、北方面のガード下の向かい側、「大松」というお店。

生簀にたくさん泳いでいる「いわし」が旨い。


いわし「おまかせ」のようなセットがあって、まずは「いわしのお造り」。
口をパクパクさせてる新鮮ないわし。

写真を撮る前に骨を持っていかれてしまったので「身」の写真だけに。
骨の部分は揚げて後から持ってきてくれる。
これを頭からバリバリ食べるのが、また旨い。


カウンター岩海苔がたくさん入った豆腐のおすましが、また絶妙!
「つみれ」の鍋も最高。

福井の「黒龍」がまた実に似合う。

最後はお店の紹介になってしまったわ・・・・・・・。
「大松」 千代田区鍛冶町2-10-7

立松さん、また呑みましょう。
あの界隈の呑み屋さん、ずいぶん詳しそうなんで期待してます。
それから、たまにはBLUESもねっ!

都立 K高校の同級生、「たっくん」こと鈴木卓さんの宣伝である。
3年ほど前の高校3年のクラス会で、久々に再会を果たしたのであるが、当時から勉強していたフルート、さらに磨きをかけていたのはビックリ。
そして、指揮者としても活躍されていた。
たまたまネットで引っかかった彼のプロフィールは

     ドイツベルリン音楽大学卒業

     狭山フィルハーモニーオーケストラ指揮者

     袋井フェスティバルオーケストラ指揮者

     東京ムジカアンサンブルメンバー

     夢のプチテアトロ代表など

あの再会から、しばし間が空いていたのだが、山梨の方にたいへん洒落た家を建て、なにやら若い奥様を手に入れ、とても羨ましい男になっていたのである。
先週、やはり高校のクラスメートであるスミレさんが、突如として鈴木邸を襲い、その素晴らしい新築の家に目から星がきらきら溢れでたとの噂も聞いている。


たっくんと愉快な音楽家たちその、スミレさんからの情報。
急遽、職場からこっそりとフライヤーをFAXしていただきました。

9月20日(日曜)、武蔵野スイングホールにて行われます「たっくんと愉快な音楽家たち」。
19時からとなっております。
会場は武蔵境駅北口すぐ。
皆様、お誘いあわせのうえ、ぜひご来場くださいませ。

卓くんの若い奥様を見ることが出来るかもしれません!
前売1000円と、財布にも優しいコンサートです。

卓くんと奥様のブログはこちらから。
  ちゃみたくハウス

え~、ところで当日はギターの飛び入りなんて・・・・・・・・・・・・・・・
いりませんね・・・・・・・はい。