岡地曙裕氏と軽く飲んだ。二人で飲むなんて、20数年ぶりじゃないかな。
かつてはよく飲んだ。いや、「よく」という表現は当らない。毎日のように飲んだ。
朝まで飲んで、彼の家でそのまま寝る。起きて飲む。あっという間に終電はなくなる。また、家で飲み続ける。そんなことを一週間も続け最後は「もうお前の顔なんか見たくないぞ!」と捨て台詞を吐いて別れるのだが、たまたまその日の夕方に新宿のレコード屋でばったり会ってしまい、その日からまた数日・・・・。なんてこともあった。二人で飲むと、音楽の話題はもちろんだが、プロレスの話、B級映画の話、下ネタ等々で止めどもない。
年月は経ち、私は江戸川区勤務、彼は江東区在住となり、下町あたりで飲む機会がなかったほうがおかしいくらいだ。
私の通勤経路の沿線まで来てもらえることになり、江東区の森下で落ちあった。
彼が事前にリサーチしていた「山利喜」に入る。私が来るだいぶ前から、店の前に並んでいてくれたようだ。
さすが行列ができる飲み屋。グルメ気分を満喫してしまった。
大正13年創業という、下町の老舗酒場である。
詳細は「山利喜」のホームページをご覧ください。近所にもう一店舗あるとは知らなかった。
我々は本館のほうにお邪魔した。でかい赤提灯にちょっと古めかしい昭和の雰囲気。
まずは生ビールでスタート。岡地氏は最初から日本酒。
最初に頼んだ刺身盛合わせは、まあこんな感じかな、という程度。
しかし、次に出てきた「やきとん」は旨い。塩で子袋、レバーとかしらはタレで。このタレが何十年も継ぎ足されてきたという秘法のタレらしく、深い味わいがある。
皿の隅に色の薄いからしが載っていて、岡地氏の「おぉ、酢味噌か」という言葉に騙され、思いっきり舐めたら死んだ。
日本酒も厳選されており、私は山形の「うきたむ」という酒を頼んだ。初めて飲む銘柄だが「なめらかでいて、切れのある軽快な味わい。香らず香る、軽いが軽すぎず」という謳い文句どおり。値段も安いし、これはちょっと要チェックだ。
そして、なんといっても「煮込み」!朝から6時間以上煮込むというから、牛シロはもうトロトロ状態。そして味の濃厚なこと。病みつきになります。
たまごを入れてもらったが、これもしっかり味の染み込んだゆでたまご。
隣で、赤ワインを飲んでいる人がいたが、やっと意味がわかった。「煮込み」というより「ビーフシチュー」に近い感覚かもしれない。ちなみに「ガーリックトースト」なんてメニューもあり、まさしくこれで皿に残った煮込みをすくい取るということらしい。どうやら、この煮込みには「赤ワイン」もブレンドされているようだ。
この次は事前にホームページでつまみ類をチェックしてから行きたいものだ。
それにしても、岡地さん相変わらず「飲み屋グルメ」だねぇ。また下町ツアー行きましょう。
お宝コーナーにサインを1点追加。
ブルースマンではありません。ソウルシンガーでもありません。
プロレスラーでもありません。
デルマーク・レコード(Delmark Rcords)のスティーブ・トマシェフスキーさん、でした。
ちなみに、腰痛は治っちゃいましたね。自然治癒。つおい!
リトル・ウイリー・ジョン(Little Willie John)のシングル盤4発でございます。
“Talk to me, talk to me”, “Fever”, “All aroud the world” etc・・・ウイリー・ジョンの名曲は数多いのに、日本ではどうも評価がいまいち。
ファンはかなりいると思われるのに、日本でのリイシューもいまひとつといった印象。
私が初めて聞いた頃も、再発盤の “Talk to me” (ジャケットが最高)と “Free at last” が辛うじて入手できた程度で、その後KING盤を集めたGUSTの2枚組(これはシングルジャケットにLP2枚を詰め込むツワモノだった)が出て、やっと食傷気味が解消された。
日本盤でやっと “Fever” が発売され(P-Vineでしたっけ?Vividでしたっけ?)、その頃に英チャーリーあたりもリイシューされ始めたような・・(曖昧な記憶)。
レコーディング自体もそう多くないはず。1960年代の中頃に殺人を犯し、その数年後にはハートアタックで獄中死するという、あの美声からはちょっと考えにくい喧嘩早い男だったようだ。
本当にすばらしいヴォーカリスト。もう少し素行が良く、長生きしていれば、相当な世界的ビッグ・アーティストになっていたに違いない。
天は二物を与えず、といったところか・・・。
ついでに言っておくと、バックを務めるミッキー・ベイカーのギターも、これまたたまんないっす!
それでは、リトル・ウイリー・ジョンのシングル盤4枚です。
King 5591 - Fever / Bo-Da-Ley Dino-Ley - 1962 (ストリングス入り)
King 5818 - So Lovely / Inside Information – 1963
King 5744 - My Baby’s In Love With Another Guy / Come On Sugar - 1963
King 5516 - Take My Love (I Want To Give It All To You) / Now You Know – 1961
なんと言っても “Inside Information” が素晴らしい。彼のバラードはどれも泣かせる出来ばかりだが、この曲がほとんどベスト盤に入らないのが何故なのかわからない。ぶつぶつぶつ・・・・・・。
ちなみにMOTOWNの “Switched on blues” に入っている、ウイリー・ジョンのお姉さんメイブル・ジョン(Mable John)の “I guess there’s no love” も大好きな曲です。
朝一で本社のH課長より訃報の連絡。
わが社の二代前の社長Mさんが亡くなられたとのこと。昭和4年生まれなので、80歳に手が届かなかった。
今年は正月から訃報続きで嫌になる。
Mさんは昭和63年から12年間社長の座にあった。
当初はタナボタ的に就任されたらしいが、私が直にお話出来るような立場になった時は、九州男児の無骨な「社長」らしい風格になっていた。
Mさんの社長時代はバブルの絶頂期から凋落するぎりぎり手前の時代。最後はテコ入れに奔走したが今よりはマシなころだった。
私は労働組合の委員長を9年やったが、最初の3年間の相手はMさんだった。
平成10年の暮れも押し迫った頃、私と書記長のHさんが本社に呼ばれた。相手は当時のM社長とナンバー2のE常務。
切り出しにくそうに話してきた内容は「従業員の賃金カットを容認してほしい」。
こんな重要な内容を、いくら組合の代表と言えど勝手に決めていい訳はない。しかしながら回答期限は即日。
結局、様々な条件を飲んでもらうことと引き換えに3ヶ月限定で容認することとなった。
その条件の中に、経営者側の役員報酬カット率の甘さを指摘させていただいた。その時のMさんの返答は次のようなものだった。
「いくらなら認めてもらえるのか。委員長の言った額に従うよ。」眼光鋭く鬼気迫るものがあり、思わず後ずさりしそうになった。それだけ、真剣に捉えていたのだろう。
後日、同席したH書記長が言った。「社長の給料を決めた委員長なんて後にも先にもないよ」。
その事件から遡る事、8ヶ月前。
渋い金額に終わった春闘が妥結した翌日、前期の業績がほぼ出来上がった。内々に経理から情報を掴んだのだが、予想とは裏腹にそこそこの数字が残った。
頭に来た私は、社長室に直訴に行った。団交員側の勉強不足もあったが、会社側の厳しい収支状況の説明を鵜呑みにして春闘は経営者に大幅譲歩した形で終わっていたからだ。
「会社の説明と全然違うじゃないですか。これだけの数字が残せるのなら、従業員へ分配すべきじゃなかったのですか」。
半年前の一時金団体交渉にて「プラスアルファなし」の妥結をしているので、私の討ち入りはいわば「反則」である。ただ正論を突きつけなければ腹の虫は収まらなかった。
その「反則」をMさんは受け入れた。夏の賞与に一律のプラスアルファを支給することを認めたのだ。私自身はもちろんのこと、同席したH書記長も驚いた。
やはり同席していたMさんの腹心であるE常務もびっくりしたらしい。後日、E常務から聞いたのだが、「あれは委員長の持って行き方がうまかったね。社長は九州男児だから、心意気の琴線に触れると思いもかけない決断が生まれるんだよ」。
私は特に作戦を練って行ったわけもなく、思うがままに訴えただけ。Mさん引退後に他の役員から「あの時は、Mさん勝手に決めて・・」と愚痴を聞かされたが、胸を張って自分の信念を信じて決断をしたMさんの強さを見習って欲しかった。
「社長らしい社長」それがMさんだった。
Mさんは退任後、公の場に姿を現すこともなく、体調もすぐれず入退院を繰り返していたような噂も聞いた。
Mさんが去った日を境に、我社は面白いくらいに業績を落として行く。これも何かの因果なのか。
お通夜は3日後。斎場は今が混んでる真っ盛りなのだろうか。
嬉しい話じゃないが。
NG’s、深夜リハを敢行いたしました。いい歳をしたオヤジどもの徹夜のスタジオ練習である。
そして、そのまま会社へ出勤する私。バカモノである。
いま、ひと仕事終えたので、反省を込めて眠い目をこすりながらブログを書いている。
昨日の夜22時より、いつも使っている代々木のスタジオのミーティングルームを、その後24時より早朝5時までスタジオの「深夜パック」を予約した。
ベースの大江氏とその前に待合せて軽く一杯。カウンターだけの小さな立ち飲み屋だ。
先に到着していた大江氏、すでに常連のオヤジさんと意気投合している。東村山の方で、当方ひばりヶ丘、清瀬の住人と地元話に花が咲く。
その後、常連さんも二人増え、狭い店はけっこういっぱい。あっという間に常連の一員になった気分。
みんなで3月22日にハーモニカ漫談の青空たのし師匠を浅草の東洋館(昔の浅草フランス座)に見に行く約束までしてしまった(???)。
小さな小さな立ち飲み屋だが、カウンター内の気さくなおかあさんが楽しい。我々を気に入ってくれたらしく、煮物や白菜漬をサービスしてもらい、先ほどのオヤジさんからトマトの差し入れまで。
で、定番の有名人のサインが数枚飾ってあるのだが、一枚だけ外人の色紙が。誰?
え!えっ!!ハービー・ハンコックじゃありませんかっ!
怖ろしや「立呑酒場・一利起(いちりき)」。
代々木駅下車。北参道へ向かって踏み切りを越えたすぐ右側。焼き鳥のボリュームは絶品。
地獄の深夜特訓はNG’sのブログをご参照あれ。
あまり健康に良くないことはわかった。
しかし、勤め人がたっぷり時間をとってスタジオに入るとなると、この時間帯しかないのは事実。
早朝の代々木駅は、どう見ても徹夜組の酔っ払いしか見当たらなかった。
カルヴィン・リーヴィーと言えば同年代のブルースファンの皆さんは、その青春時代の甘酸っぱい想い出(?)と共にあの名曲が蘇ることであろう。
そう、私も高校2年生だった。彼女とも別れ、毎日のように阿佐ヶ谷の “Cadillac Baby” へ西武バスと中央線を乗り継いで行く毎日。
そんな頃、P-VINE SPECIALが満を持して発表した記念すべき第1作目が “Calvin Leavy - Cummins Prison Farm” だった。
タイトル曲のインパクトにはぶったまげたね!淡々と歌うカルヴィン・リーヴィー(しかも深い!いい声!!)。そして間奏のギターソロのえぐさ!
えーっとロバート・タンナーって言ったっけ。無名どころの無名ギタリスト。その後、他の録音とか出てきたのかな?とにかく、耳をつんざくギターソロってやつだな。
そう言えば、カルヴィンもその後どうしているんだろう。
そのLPに収録され損なった名曲がスタンダードの “It hurts me too”。
そして “Cummins Prison Farm” のアンサーソングが “Free From Cummins Prison Farm”。
調べてみたら、その後のCD化に際してこの2曲は収録されていたんですね。参った参った。
でも、そのCDがネットで引っかからない。廃盤なの?在庫切れなの?
この想い出のカルヴィン・リーヴィーはぜひ孫の代まで残してもらいたいもんじゃ。
いまネットで引っかかったのは “The Best of Calvin Leavy” という輸入盤だけ。
ちょっと選曲がP-Vineとは趣旨が違うと言うか・・・。う~ん・・・。
ネット検索のついでに、もうちょっと調べたら、なんとリーヴィーさん服役中だと。。。
うーーーん、残念無念。
日曜の急な葬式に始まり、今日まで激務が続いた。
昨日のバレンタインデイも、夜中に日付が変わってから我が家のお手製チョコを淋しく冷蔵庫から出してむさぼる私であった。
もう50歳も手前になると、友人知人らとの会話は「いやぁ、最近血圧が高くてさあ」とか「糖尿の気があって食事制限だよ」とか「通風が痛い」等々体調不良の話題が多くなる。
私は若いときに暴飲暴食、不摂生な生活を謳歌していたにも関わらず、この歳までこれと言った病を患ったことがない。入院はおろか、骨折すらない。
10年ほど前、会社の繁忙期に強烈な胃痛に見舞われ、病院へ行くと「十二指腸潰瘍」と診断されたが、繁忙も収まりみんなで酒を飲みに行ったらピタッと治った(もちろん、薬も飲みましたが)。
頑丈な体に作ってくれた親に感謝である。
両親共に血圧が高いにも関わらず、私は極めて正常値。会社の健康診断でも「太り気味」以外は問題なし。
以前は肝機能の値が「要再検査」だったが最近はだいぶ落ち着いており、この体型にも関わらず「コレステロール値」や「中性脂肪」の値もさほど高くない。
再度、両親に感謝。それと、偏食を直していただいた妻にも感謝。
でも、さすがに年齢には勝てずに最近はあちこちにガタが来始めた。
2,3年前から首~背骨が痛み出して、大嫌いな「病院」へ行ったら「脊髄ナントカ症」の疑い、と言われた。病院を5軒ほど変えたが原因不明。
レントゲンも問題ないらしい(ただ、骨の付き方が常人と逆だと言われたが)。
この痛みは左肘~左の指先まで痺れとなり、睡眠の妨げとなった。
しかしながら、この痛みもたまに治まったりするものだから真剣に病院に通わない。これがいけないのだろうが。
あと、痛み慣れっていうのもあるかもしれない。
で、二日ほど前から腰のあたりが痛み出してきた。筋肉痛っぽいのですぐ治ると思った。
これが昨日の朝は痛みが増した。
昨夜はもっと痛くなった。
今朝は起き上がるのに10分かかった。や、やばい・・・。
今朝、うちの小学三年生と洗面所で並んで歯磨きしているときに
(私、腰をかがめる)
私「あ、痛てててて」
娘「どったの~?」
私「いやぁ腰が痛くてね・・・」
娘「ビックリ腰!!」
私「そ、それを言うならギックリ腰でしょ」
娘「〇〇ちゃんのおかあさんもビックリ腰だって」
私「い、いやギックリ腰・・・」
娘「あのね、Wiiやってたら突然グキッてなったんだって」
私「お父さんのは突然じゃないからねぇ・・・」
娘「でねぇ、恥ずかしいから病院では『頑張ったらなっちゃった』って言ったんだって」
私「「(おいおい主語がないよ、何を頑張ったんだ?余計恥ずかしい話じゃないか?)」
娘「じゃあねぇ~」
学校で「ウチのお父さん、頑張らないのにビックリ腰になったよぉ~」と吹聴していないだろうか。
この腰痛をおして、明日は22時から朝5時までNG’sの深夜リハーサル&ミーティング。
そして恐ろしいことに、そのまま仕事へ直行になりそうだ ( ̄□ ̄|||)がーーん!

土曜日のリハの最中に、去年退職したTさんから連絡が入った。
「Oさんが亡くなった」と。
Oさんは会社の先輩でとっくの昔に定年で退かれたが、まだ70歳手前だった。
ちょっと変わった人で、しかも夏場に半袖が着れない、と言えばお分かりだろうが、背中には紋紋が入っており言葉遣いもカタギの口調ではない。
「男気」とか「義理人情」といった言葉が大好きで、カラオケで歌うのは当然「兄弟仁義」。
頭に血が上ってお客さんをぶん殴りブタ箱行きになったという武勇伝(?)もある人だ。
もう20年くらい前になるだろうか、同じ支部で組合の委員をやっていたYさんが酒の席で殴られた。
私のことを同じ穴のムジナくらいに思っていたのだろう、その後初めてOさんと酒宴で同席したとき想像通り喧嘩になった。
ただ私は殴られなかった。というか、最後は肩を組み二次会のカラオケスナックで歌い、酔っ払ったOさんを自宅まで送り届けて帰った。
それから年に1,2回一緒に飲むようになった。最後は私がおもりやく。
やってることは少々横暴だが、「思いやり」とか「約束ごと」にはとてもうるさい典型的な昔かたぎのおじさんだった。
ここ数年はすっかり疎遠になってしまっていたが、年に一度は必ず電話がかかってくる。
去年の夏ごろだったか、実は胃がんになって入院していたと電話があった。でも、もう飲めるようになったから大丈夫だとも言っていた。
入院してから手術するまでの経過を面白おかしく語ってくれたOさん。あの時の会話が最後になろうとは。
律儀なOさんだったが、年賀状は駄目だった。正月すぎに来たり、今年は来ないなぁなんて思ってると突然1月の中ごろに電話がかかってきたり。
今年は珍しく元旦に届いた。
しかも印刷ではなく、しっかり自筆で。
胃はほとんど摘出していたそうだったが、癌は直っていなかった。
葬祭場を出る前に、Oさんの顔を拝ませてもらった。
かつてはブイブイ言わせた厳つい表情もなく、とても穏やかな寝顔になっているのを見て思わず泣けてしまった。
お通夜も終わり、数人の先輩達とお清めに。
皆、平均年齢70歳前後。
「伊藤ちゃん、困ったことがあったら何でも相談してくれよ!」。酒も入っているせいか、みんな涙流しながら握手してくる。
こんな気さくな先輩達がいたあの時代は会社が楽しかった。
先週に続き昨日はまた雪だ。
こともあろうに、NG’sのリハーサル日だ。リハが終わって外へ出ると、代々木は一面の銀世界。
最近どうもリハの日は悪天候。雨ぐらいならかわいいが、台風や大雪までやってくるのはたまらない。
この辺の考察は、NG’sのブログをご参照ください。
来月(3/1)のライブまで残りのリハはあと1回。
新曲をしこたま詰め込んだのにこれではマズイ!ということで、急遽来週は24時~5時の深夜リハ敢行。
夜中の練習に中年バンドマン達は耐えられるのでしょうか。
家に帰る頃には雪はやんでいたが、うちの車に覆いかぶさった雪や、路面の状況は写真のとおり。
しかし翌日に会社へ行くと、なんと江戸川区はほとんど降っていないようで、道路はきれいなもんだ。
同じ都内でこんなに違うとは。
その昔、いっしょにやっていたバンド”Lindy Hop” でベースを弾いていた神東正典さん。
今は故郷の徳島で家業(?)の神社を継いでいる。すばらしいことに、まだベースも弾いている。
悪魔の音楽を演奏する神主さんである。
先日、あるお願いをしていたのだが、昨日頼んでいたモノが届いた。
それこそメール便で充分こと足りるものを依頼したのだが、写真のでかい箱が到着していた。
え~と、犬は箱の大きさの比較対象というやつで。
でかいダンボールの中には、お神酒やら撤下品の数々と一緒に、お願いしたもの、そしておや?DVDも入っている。
1枚は現在神東氏のやっているバンド「黒神(こくじん=良く考えたら凄いバンド名だな)」の徳島でのライブ映像(フューチャーリング服田洋一郎!!)、そしてもう1枚が「クロスロード・ギター・フェスティヴァル 2007」。
昔、この手のものは東京から地方へ「送ってあげる」という感じだったが、今やネットにつながったパソコンと宅急便があれば、日本全国同じモノが手に入る時代。
ありがたく頂戴した。
もう夜中だったので全部見ていないが、とりあえず2枚目の方を軽くチェック。
ジェフ・ベック、うわぁ久しぶりに見たなぁ。右手が白いのは滑り止めの粉?ベースの20代前半のお姉さんは何者?
ロビー・ロバートソン、ふ、太っちゃったね。クラプトンは一昨年の暮れに見に行ったのでまぁ分かってはいたが、スティーヴィー・ウインウッドとの「ブラインド・フェイス」ナンバー3連発にはしびれちゃったね。
バディ・ガイは相変わらず元気。ヒューバート・サムリンも少々痩せたみたいだが元気。でもジョニー・ウインターが老けちゃってちょっと心配。
神東氏は私以上にモノモチが良い。
私の若かりし頃の「かなり恥ずかしい写真」をお持ちらしい。
いま、それをネタに脅されている最中・・・(/_;。) ウッウッウッ・・・・・
日本で最初のいわゆる「ブルース・ブーム」があったのは1974年秋の頃。
ちょうど「第1回ブルースフェスティバル」が開催された時期だ。
チェスやデルマークといったところが、日本のレコード会社から続々と発売された。
残念ながら中学生の私は、ロックウッドより初来日のクラプトンを選択し、ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン誌)の増刊号である「ブルースのすべて」(写真左)も買いそびれていた。
その半年後にバディ・ガイの来日公演に接して、どっぷりとブルース漬になるのだが、いくら古本屋を捜してもこの本を見つけることができなかった。
1年半後に、「音楽全書」(写真右)という雑誌が発刊され、その創刊号のサブタイトルが「ブルースの世界」とあり、全編ブルースを特集した内容だった。
私にとって、この1冊がブルースのバイブル代わりとなる。表紙のスレを見てもらっても一目瞭然。
で、NMMの増刊はそれから10年以上経ってやっと入手の運びとなる。しかしながら充実度の高い内容の濃さはわかるのだが、すでにブルースの知識は格段に向上しており、物足りない存在になってしまっていた。
発売のときに買っていれば、ボロボロになるまで読み漁っていただろうに・・・。
その本は誰かに貸したままなのか、家の中には見当たらなくなってしまった。
先日、ひょんなことから再度入手した。
とても美品で、前の持ち主にとってこの本はブルースのバイブルには成り得なかったのだなぁ、と思いながらページをめくっている。
それにしても、あの頃のニューミュージック・マガジンって凄い雑誌だったんだなぁ。
昨日、長女がスキーから帰ってきた。
初めての経験に充分楽しめたようだ。
「雪が降って高速道路が通行止めだったから、行きのバスはずっと一般道を走ったんだろ?」
「えぇ?よくわかんないや」
そうだよな。
バスの中で友だちと遊んでて、外なんて見てないよな。
まぁ、親の心配なんてそんなもの。
ああ、東京はまた雪だ・・・。
お宝のページ「その2」です。
先日、古いチケットの半券がたくさん出てきたので。
懐かしさにアタマがポーッとしてしまいました。
高校時代に行ったロックコンサートもあります。
おまけに、プロレスの半券も・・・・・。
だめっ?
帰宅すると、やっぱりあった。雪だるま。
小学3年生、渾身の大作。
だいぶ母親の手が入っているようだが。
昨日の親子の会話。
私 「明日、雪が降るらしいぞ」
次女「わーい!!」
長女「え~。なんか損したみたい~」
長女は中学の行事で今日からスキー授業に行くことになっていた。
生まれて始めてのスキーだ。
自分が雪の中に行くのに、その間、珍しく東京も雪とあっては、どうにも「損をした」感じらしい。
夜、がんばって荷造りしたはいいが、詰め込みすぎてバッグのチャックが閉まらず悪戦苦闘の長女。
そして朝。
今日は天気予報が当った。いや、当りすぎで降り過ぎだ。
家の周りは真っ白で、雪も止む気配無し。
日曜の雪なので、勤め人は一安心。子供は大喜び。といったところだろうが、日曜出勤の勤め人もいるわい。
昼間、会社の車で大手町まで出向いたが、さすがこんな日に車で出歩く人もいないようで、道はガラガラ。
予定より早く着いてしまった。
今日は早く帰れそうだな。
雪だるま出来てるかな。
そう言えば、関越自動車道は雪のために通行止めだそうだ。
無事に宿まで辿り着いたんだろうか。
ちと心配。
前日の続き。
会社の元先輩のお父様のお通夜へ言った。
かつて、うちの会社にいた連中がたくさん来ていた。元先輩を慕って、彼の会社へ移った者。去年のリストラ渦の後に彼の会社で再就職した者。
皆、元気そう。懐かしい面子も多く場所柄不謹慎ながらも再会を嬉しく思う。
それに比べて、うちの会社からの参列者は私を含めて2名。
いくらライバル会社といっても、彼と同期の者や世話になった者は相当いるはず。
こんなもんだろう。うちの会社の連中は。
数人で近所の飲み屋で「お清め」。
私は、物心ついた頃から西武池袋線沿線の住人。下町の雰囲気はよくわかっていない。
ここは「曳船」。
下町風情の商店街(元商店街?)の中で見つけた飲み屋さん。
寡黙なお父さんに、渉外担当のお母さん。ありがちなパターン。
「煮込み」美味しかったです。
「いかの珍味焼き」ワタがいい味出してました。
下町の飲み屋さん。いいですね。
すっかり熱燗でいい気分。2時間強でおいとまする。
いかん、前日の睡眠時間は3時間半だった。
また、電車の乗り過ごしの危機が。
やっぱり寝た・・・。
目が覚めた。ちょうど「ひばりヶ丘」。
おぉっ!今日はセーフ。
良かった。
月末ともなれば、会社員は忙しい。
やれ請求書だ、やれ経費の締めだ・・・等々。
午前中、会社でずいぶんお世話になった2歳年上の先輩のお父様の訃報が届いた。
彼はわけあってうちの会社を辞め、他社で活躍されている。
うちに残っていれば間違いなく部長、取締役になっていく人材だが、当時の役員達に不当な人事をされたことが発端で会社を去った。
退社後も連絡はとり続け、再就職後も杯を交わす機会も度々あり、昨年のうちの会社のリストラ渦の時も相当数の人材の受け皿として奔走していただいた。
数日前に電話で「また親父、入院しちゃってさあ。ちょっと今回は・・・」といった会話をしたばかりだった。
午後になって旧友であるバンド仲間のお父様の訃報も届いた。
なんで同じ日に。
我々の世代の親といえば、たいてい70~80歳代。
特に寒い季節にはいやな話が多い。
それもダブルできちゃったもんだから・・・。
でも”Double Trouble”ってタイトル、ちょっと違ったな・・・。
LEOさんのサイトに当ブログをリンクしていただきました。お礼が遅くなってしまいました。ありがとうございます。
それにしてもLEOさんのサイトは華やかですねぇ。見てて飽きません。
左の写真か、右のリンク集をクリックしていただければ飛んでいきます。ぜひご覧あれ。
長い付き合いですが、私がただのメタボ中年になってしまったのに、LEOさんは立派な熟女ソウルシンガーとして活躍されております。
2月は控えめですが、下記がライブ日程です。こちらも、ぜひ!
●2月7日(木)《tribe》
LEO(vo), 吉森信pf
open : 19:00~ /start : 19:30~ \2,500 (1ドリンク付)
渋谷公園通りクラシックス tel : 03-3464-2701
渋谷区宇田川町19-5東京山手教会B1F
フライヤーはコチラ
●2月16日(土)《拾得35周年開店記念スペシャルLive : LEODUO / イナヅマホーン
ズ》
LEODUO [ LEO(vo), 小堀(正)誤g ]
イナヅマホーンズ [小泉聡vo、牟田けんじg、中嶋泰紀g、河井真月d、羽山智也
b、河崎美風子p,org、小泉壽tp、山中清嗣tp、山下咲子tb、広田かんじts、西村
正夫ts]
open: 17:30~ /start : 19:00~ \1,000
京都拾得tel: 075-841-1691
上京区大宮下立売下る菱屋町815
フライヤーはコチラ
フランク・ザッパの息子であるドゥイージルが中心となった”Zappa Plays Zappa”の日本公演も大盛況のうち終了したもよう。
天才というか、奇才というか、Frank Zappaは神がかり的存在である。
Zappaの来日時のフライヤーが出てきた。
え!もう32年前のことだったのか。
5日前に飲んだばかりなのに、また集まってしまった小安田氏、岡地氏と私のLittle Boy Blue残党3人衆。
私は仕事の関係で20時頃に合流。彼らはすでに2時間ほど前から飲んでいるもよう。特に小安田氏は王様になる一歩手前の状態。
本日はもう一人のゲスト、稲田浩三氏(漢字、間違ってないかな)も登場。
彼は当時の東京B級ブルース界の中でも、”キング・オブ・ロウダウン”というか”キング・オブ・いなたい”というか、とってもいい感じのギタリストだった。
地元の豊橋にいるという話は聞いていたが、何やら3月まで研修があってその間こちらに滞在しているらしい。
この日はいったん豊橋に戻る予定とのことで1時間ほどの再会だったが、全く風貌が変わっていない浩三氏に頭が下がってしまった。
ところで、この日の「飲み会場」は中野の”Bright Brown“。
やはり当時の仲間である”すーさん”が仕切っているお店。すーさんと言えば浩三氏以上にミスター・ロウダウン。
“Caldonia”というバンドで、いぶし銀のギターを何度も拝ませていただいた。
たぶん、すーさんとも20年以上のご無沙汰か。
途中から記憶が飛んだ小安田氏(後日談による)も退場。日付も替わってしまったので途中参加の谷やん氏に記念写真を撮ってもらい、終電を諦めた岡地氏を残し店を出た。
先日の失敗を繰り返さないために電車も座らずに頑張ったのだが、何も食べずに飲み続けたのがいけなかったらしく、どうやら立ったまま寝ていたようだ。気づくと西国分寺。
ま、まただ・・・・・。