一昨日の「スイーツ」ネタ は一部の皆様よりたいへん不評を買いましたので、本日はちょっと濃いネタに戻りましょう。
1年半くらい前だったか、旧友小安田憲司氏と相当久々に再会して居酒屋でブルース談義に花を咲かせたときに聞いた話である。
右欄外の私のプロフィールにもあるように、20年ほど音楽界と疎遠な生活であったため「ブルース界の浦島太郎」状態で、そのときも小安田氏にはいろいろな事を教えてもらった。
その中でも、来日ブルースマンの話題で仰天した。
“Carter Brothers” と “Howard Tate” 。
だ、だって、あの頃はカーター・ブラザースはP-Vineが “Jewel” の権利を獲得して、世界初のLPを作った(だよね)ほどで、売れ筋のブルースマンではなかったはず。たぶん、当時の Living Blues誌などにも活動している情報なんてなかったような気がする。ハワード・テイトなんて、消息もわからなかったくらいだ。
来日してたなんて今でも信じられない。
カーター・ブラザースはロマン・カーターのシャウトするヴォーカルをフューチャーしたハードブルース3兄弟、そして、相当いなたい。
“Booze in the bottle” は彼らの代表作の1つで、購入当時はそれほど入手に苦労するということもなかった。
たしかP-Vineは立て続けにLPを2枚出してくれたと思う。これで、シングル盤に手を出す必要はなくなった。
で、ちょっと Youtube にて検索したら、こ、これはロマン・カーターさんではありませんか!?
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ハワード・テイトは、なんと言っても “Verve”盤をはじめて聞いたときにKOされた。
小安田氏の話では、この頃のコンプリート盤もその後CDで発売されたようだが、こんなに歌が上手いシンガーも滅多にいない。そして抜群のパワー。
“Ain’t nobody home” は有名な曲なので、聴けば知っている人も多数いるはず。
自宅が火事になり、子供を亡くし自らも重傷を負い、離婚、ヤク中、ホームレス、等々転落の人生から、牧師となり再発見されたというから、ものすごい人生だ。
しかも、カムバック後も衰えることなくステージをこなすなんて。
すごい!サラリーマンやっててギターが弾けなくなった、なんて言ったらぶん殴られる事必至であろう。
ちなみに、ハワード・テイトの最近のステージも Youtube で見る事ができる。
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残念・・・・来日していたなんて・・・・。見たかった・・・・・。
本日の休日は、久々に家族全員で吉祥寺へお出かけだ。
お腹を空かせて、目指すは「スイーツ」の店。
似合わないって?しょうがないでしょ、妻に二人の娘。伊藤家では力関係が見事に女系に傾いている。
吉祥寺東急の2本裏通り。実は以前にも行っているので勝手知ったる、といったところ。
30分ほど店の前の椅子に座って待ち、さあ入店。90分食べ放題。
前回は主にパスタ系、ピザ系を食い倒したが、今回はスイーツに挑む!
今日は朝からパン1個しか食べていない。
えーい!第1弾!
そして、またもスイーツ!
「お父さん、どうしたの?最初からそんなの食べて大丈夫?」
みな、パスタやらピザからスタートしている。
「はっはっはっ!今日はこれでいいのだ!」
と言いつつ、早くもトーンダウン。パスタ作戦へ移る。
この店はパスタも結構いける。
4皿目だ。
む!敵は「スイーツ」に作戦変更だな!
い、いかん、最初に甘いものを2皿も食べたので頭が痛くなってきた。
カレーもけっこういけるぞ。
そ、そろそろ限界だ・・・。
も、もうケーキはだめだ。
ちょっとマカロニサラダもいってみるか。
6皿目でギブアップ。
ちと、皿が汚い。
最後はソフトクリームで。
すっかり「スイーツ」を満喫した伊藤一家の休日であった。
腹いっぱいで動けないぞ・・・。
胃散を飲む妻。
そして最後は、1時間もすればすっかり元気になってガチャポンを物色する次女の姿で締めくくり。
今日は、ほのぼの伊藤家の話題でした。
さぁて、昨日の話 の続き。
本日、一週間ぶりの休み。午前中は配達されてダンボールに入ったままになっていた、件の「デジタル・レコード・プレイヤー」を開梱、設置である。
で、結果。
ある程度の予想はしていたが・・・・・おもちゃだ。
軽いしコンパクトなのはいいが、やはり格好だけレトロな雰囲気なだけで、造りは完全に今風。
本体に付いている貧弱な2つのスピーカーから出る音は、昔のラジオよりちょっとマシ程度なもんだろう。
まあ、安かったしね、こんなもんだろうな・・・・。
おやおや、外部出力があるじゃないか。
ほうほう、これをプリアンプにつなげば・・・・・。
なぁーんだ、レコードプレイヤーを買い換えたようなもんじゃないですか。
OKOK,じゅうぶんだよ。
うんうん、今までのプレイヤーにCDデッキが付いて、MP3にすぐ落とせるというわけだから合格点でしょう。
USBメモリーに落とすときも、曲間に録音ボタンを2回押すだけで曲の区切りが出来るので楽。これを忘れると、片面全部が1曲の認識になってしまう。
でも、やはりおもちゃっぽい。
すぐに壊れなきゃいいんだが。。。
あ、SPもちゃんと聴けましたよ。 さりげなく、ロウエル・フルソンのSPの写真を・・・。
先日、プリアンプを買い換えた話 を書いたが、実はその後にレコードプレイヤー自体に難があることを発見してしまった。
さてさて、どうしたもんかと思いながらも、聴けないことはないのでそのままにしておいたら、妻が「レコードをそのままCDに焼けるプレイヤーとかあるみたいよ」と教えてくれたので、ちょっと調べてみる気になった。デジタル化出来るレコードプレイヤーって結構あった。
かつては携帯音楽プレイヤーなんて興味なかったが、現在の往復4時間にも達しようかという通勤地獄では必需品と思い、2年半ほど前に5GBの携帯MP3プレイヤーを購入した。しかしですよ・・・私の音源はほとんどがアナログのレコードかカセットテープ。これを、 “Sound It” というソフトを使ってPCに取り込むという気の長い作業が発生してしまった。最初のうちはおもしろがっていたが、段々飽きてきて、しかも仕事が忙しくて家にいる時間も少ないんじゃデジタル化作業も一向に進まない。結局、バンドのリハの音を入れて、通勤電車は一人バンド反省会の毎日という様相になってきた。
話がずれたが、とりあえず手っ取り早くレコードをデジタル化する、という命題で買ったのがこれ 。サイテック(SCITEC)という会社名も初めて聞いたが、決め手は78回転のSPに対応していること。SPなんて数枚しか持っていないが、聴けない環境にいると「何とか聴きたい!」と思うわがままな性格。いろいろネットで調べつつ、16,000円の最安値でゲット。やっと昨日到着した。
まだ、ダンボールの中で眠っている。次の休みの日に設置しようと思うが、プリアンプ-BETAデッキ-8ミリビデオデッキ-VHSデッキ-レコードプレイヤー、と重なった狭い自室のラックには入るスペースもなく、まずは整理整頓から始める必要がありそう。
このデジタルレコードプレイヤー、何ができるかと言うとLP盤,シングル盤、SP盤の再生はもちろん、CD、ラジオが聞けて(あんまり関係ないか)、SDカードかUSBメモリーにMP3データとして直接落とし込むことが出来る。妙にレトロチックにした外観が安っぽそうに見えていまいちだが、機能が良ければ見た目にはこだわらない性質なので問題なし。
さて、来週から楽しい通勤ライフが満喫できるでしょうか。いや、満員電車は慣れようにも慣れない。
購入したもの : サイテック オールインワンデジタルジュークボックス TCU350-SD
お宝コーナー(Precious, Predious) の中に、「グッズ・コーナー 」を作った。
どうもガラクタの寄せ集めのようでもある。
でも、意外な一品もあったり。
念のため、覗いてみてください。
全く持って、会社のことになると怒ってばかりだ。
昨夜、労組の後輩である現在の執行部の者から連絡が。
前回怒った件 で、その正社員復帰するらしい者を、どうやら管理職として復帰させるという会社の意向である、との情報を伝えてきた。
一瞬、虚しさと諦めの境地になったが、未だ再就職もままならぬかつての同僚達を思い浮かべると、怒りがこみ上げてきた。
現在の部長は先日こう言った
「管理職にすることはない」
ばかやろぉーーーーー!大うそつき!
社長は言った
「みんなの意見を聞いていかねばならないな」
あれから意見に耳を傾けたか?結局、一部の人間達だけで作った都合のいい人事じゃねえかよっ!!
もうひとつ、火に油を注ぐことが。
昨年、年末調整で住宅ローンの控除を受けるために、銀行のローン残高証明を本社へ送った。
添付用紙を付け忘れた私も悪かったが、本社は指摘すらせずに放っておいた。
今回、確定申告で医療費控除を受けようと思い、まともに源泉徴収票を見たら、住宅借入金控除の欄が0円だった。
おいっ!本社!なにやってる!残高証明だけ放置かよっ!
今朝、証明書を取り返しに本社へ寄ったついでに、社長をはじめ各部長に文句を言おうと、まさに殴りこみの勢いで突入したのだが「会議です」だそうだ。
午前中いっぱい待っている時間などないので、すぐに職場へ直行。
なにが会議だよ!悪巧みの会議かぁ?
すっかり勢いが萎えてしまった。
つくづく、やる気を削いでくれる会社になったもんだ。末期症状・・・・・。
先週の月曜から風邪っぽく、一昨日の日曜は半日ほど寝たきり中年の体。
昨日も鼻水が止まらず、同僚から「それ、風邪じゃなくて『花粉症』じゃないですか?」といわれる始末。
そう言えば、年々花粉症患者は増えていると言われ、前の年まで何ともなかった人が突然発症するとも聞く。
ついに来たのか・・・・・。
まさに現代病の代表格にまでなってしまった『花粉症』。
花粉症になっていないと現代人ではないのだろうか、と思われるほどである。
これで私も現在(いま)の人!
今朝起きたら妙に暖かな気候。今日は気温が19度まで上がるらしい。
これで、花粉も飛びまくりだろう。
鼻水は治まっていた。
現代人にはなれなかった。
25年くらい前の話。
数人で京都、奈良へ行った。修学旅行ではない。
いままでの人生の中で、たった一度の体験をした。
本場の吉野杉のスギ花粉にやられたのか、『花粉症』の兆候が。
一緒に行った医者の息子であるベーシスト、松井仁氏が
「これ効くで、けっけっけっ」
と不敵な笑いを浮かべてくれた錠剤。
効いた。確かに効いた。
あっという間に、鼻から目から頭からくる不快な症状は消え去った。
あの薬はいったい何だったんだろう?
その正体はけっきょく闇の中。
期末でなかなかに忙しく、今日も先月の集計を取ったりしていたのだが、あ~今日はJIROKICHIでスインギング・バッパーズがあったんだなぁ、そう言えばLEOさんも荻窪でほーさんとライブだったっけ、などとブツブツ言いながら仕事をしていた。
夕方から事務所に一人となったもんで、PCから音楽を流し始めた。
“The Story Of Pre War Blues” という4枚組CDで、なかなか珠玉の名曲集である。
最近は戦前モノもすっかり聴いていないが、King Solomon Hill の “The gone dead train” のところですっかり仕事が止まってしまった。というか、聴き始めてから仕事のテンポは異様に落ちてしまい、主は「仕事」より「聴く」方にすっかり移行していたのだが。
記憶違いの表記があったら申し訳ないのですが・・・。King Solomon Hill を初めて聴いたのは Yazooレーベルの “Tex Arkana Louisiana Country” だったような気がする。突然のハイトーンのボーカルに生々しいギター。一発でのけぞってしまった。ほかの曲を調べたところ、たしか録音が4曲くらいしかなくて一生懸命捜した記憶がある。そうしたらOriginレーベルの “Crying Sam Collins” にも入っているのを見つけて、ダブルで得をしたような気になったこともあった。
強烈なインパクトに、録音もほとんど無く、何者だったんだろうと一気に興味が湧いてきた。
当時のThe Blues誌に、日暮泰文さんが記事を書いていたはずだ。でも結局謎の人物だった。
そんなことを思いながらも “The gone dead train” を何度も繰り返し聴いて、仕事が終わったのが19時過ぎ。
ただ、客先からの業務終了報告が入ってこないので、待機だ。
で、また聴く。
どうやら、22時までは帰れそうにない。先ほどから4人ほど終了報告が入るが、あと1名。
もう22時過ぎちゃったよ。
また、聴くか。
ネットで検索してたら、私が「ブルース界隠居時代」に更に2曲見つかったらしい。結局、全部で8曲らしい(別テイク込みで)。
聴きたいな。。。
おおっ!!こんなサイトがあった !!
ちょっと写真パクッちゃえ。(ごめんなさい)
おお~、この曲、ダウンロード (15、16行目をクリック)できるぞ!
こ、これはお初か・・・・。これが見つかった2曲か??
いかん、こ、興奮してしまった。
つまらんことで興奮するな!と言わんといてください。
仕事しながら King Solomon Hill 聴いてる奴も相当珍しいだろう。
早く、帰りてぇ。。。。。
昨日は突然暖かくなり、もう3月なんだなぁと思わせる陽気になってきた。
で、こんな季節の変わり目が危ない。
昼間と違い、陽が暮れるとまだまだ寒い。どうも喉が痛くなり、ライブが終わって気が抜けたのも手伝ってか、風邪っぽい雰囲気。
月末月初の繁忙、そして年度末の繁忙にて、とても会社を休める状況じゃなく泣きながら出勤である。
子供の頃から「扁桃腺肥大」というやつで、ポンッと簡単に熱が出る。大人になってからはあまり風邪をひくこともなくなったが、小学生時代は学校もよく休んだし、虚弱体質の一歩手前みたいな感じだった。
みんな絶対に信じないと思うが、痩せていた。別に、食が細いということもなかったと思う。背がひょろっと高く、痩せているので「もやし」と呼ばれたこともある。
ほ、本当だよっ!信じてくれぃ!
小学6年生の時には身長が167センチで、学校の中では教員、職員含めて背の高さは第3位だった(1位:校長先生、2位:体育の先生、3位:私)。中学に入り、背が伸びなくなりはじめ、高校の終わり頃にはだんだん横に成長し始めた。結局、身長は176センチで打ち止め、体重は高三の時58キロが現在83キロである。
いやいや、こんな話ではない。そう、私は「もやし」だったのである。
そう言えば、いつだったか、娘達との会話。
次女「ねぇ、お父さんは何ていう幼稚園行ってたの?」
私 「うーん、当ててごらん」
長女「ヒントは?」
私 「最初の一文字が『も』だよ」
長女「う~ん、何かなぁ???」
次女「わかった!『もやし幼稚園』!!」
長女「ばか!そんな幼稚園ないよ」
次女「わははははははは『もやし幼稚園』だぁぁぁぁぁぁ!はははははは!」
私 「違うよ」
次女「ひゃひゃひゃひゃひゃ、も、も、もやしようちえん、ひひひひひひひ~」
長女「あんた、大丈夫?」
次女「ひひひぃーひぃー、お、おとうさん、も、もやしようちえんいってた、ひぃーひっひっひっひぃ~~」
私 「あのね、『もみじ幼稚園』だよ」
次女「も、も、も、もやしようちえんだってさぁ、ひゃ~ひゃっひゃっひゃっ、おかひぃ~、ひぃ~、く、くるひぃ、ひぃ~ひぃ~」
私 「おいおい、ひきつけちゃってるよ」
あ、違う違う、こんな話じゃなくてね、昔は「もやし」のように細くて、病弱で、おまけに内向的な子供だったって言いたかっただけなんですよ。
でも娘達にまでこんな笑われ方されるようじゃねぇ・・・・・。
昨日は、我が NG’s の本年初ライブだった。
おかげ様で客席はすべて埋まり、椅子を追加したほど。皆々様、誠にありがとうございました。
ライブの模様はNG’sのブログ に書いたので、そちらをご参照ください。
スモークですよ、スモーク!
写真て本当に音が出ないからすばらしい・・・・・。
次回はゴールデンウイーク前に一発!
まだ、会場未定ですが。
でも、この飯田橋 “Space With ” で6月28日に再演決定!
対バンも同様。
次回もヨロシクです。
そして、最後に膝まづいてみました。。。。。
明日は本年初のライブです。
開場は18:30。
500円も頂いちゃいますので、少々気が引けますが。
もし、奇特な方がいらっしゃいましたら。
飯田橋のお店です。
下手だと思っても、物を投げないでね。
くれぐれも。。。
ネットというのはやはり凄いもので、平気で何十年も会っていない友人、知人とバッタリ出くわしたりして、なかなか驚かされる。
昨日、あるコミュニティ、というか mixi なんだけど、その中で「義太夫」なるホントにわかりやすいハンドルネームで書き込んでいる人を発見した。
思わず、
「ぎ、義太夫さんだぁ!私、大学のサークル時代、義太夫さんの1年後輩で随分といじめられました。」と書いたら
「うおおお!凄い人来ちゃったな」と早速コメントが帰ってきた。
「グレート義太夫」氏。たけしさんが命名されたんだろうが、言い得て妙な芸名だ。
プロレスファンの私としては、往年のグレート・アントニオ、グレート・東郷、などを思い出す。義太夫さん、最近は糖尿病でだいぶスマートになられたが、かつての風貌は、やはり「グレート義太夫」だ。
芸名は凄いが本名はすごくかんたん(失礼)な名前で、私としては「S木さん」と言ったほうが馴染んでしまう。
大学のサークルの1年先輩で、元々ギタリストだったらしいが私が入部したときはドラマーだった。右腕をタメを効かせながら振り下ろす、その独特のドラミングは今でも覚えている。私はどうしてもブルースがやりたくて、1年で退部、その後あちこちの大学のサークルに顔を出しながら腕を磨くようになり、すっかり母校に行くことが少なくなってしまったが、あるとき荻窪のスタジオで義太夫さん、MABOさん達とセッションしたのは今でもテープが残っている。その後、水道橋あたりのスタジオでバッタリ会ったのが最後。たぶん25年は軽く過ぎていると思う。
お昼のテレビ番組(たぶん「笑ってる場合ですよ」)で、ビートたけしさんがバンドを引き連れて歌っているのを見て、「あ、妹尾さんがハープ吹いてるよ。え、えぇ~っ!このドラムはS木さんじゃあねぇかぁ~?」と驚いた。そのうちS木さんは、あっという間に「グレート義太夫」になっていた。
最初の話に戻るが、mixi のコメントのあとに非公開でメッセージをやり取りさせていただいた。
当時の私の同期の名前を並べて、「みんな元気かなぁ」と。
「ボケちゃう前に一度みんなで会いたいですね」と返信した。
ついでに義太夫さんのホームページ のリンク許可をいただいたので、右の「Friend Of Mine」の中に加えさせていただきました。
このブログの写真はそのホームページから勝手に盗んできたものです。ミュージシャンですね!
そう言えば、マイミク登録忘れてるよ!鈴木さん!
今日は久々に朝から現場へ行った。
どうにも人手不足で、私のようなスキルの乏しいものでも問題ない仕事だったので、川越の先まで行ってきた。
まぁ、はっきり言って肉体労働。
普段がずっと椅子に座ってパソコンの前なので、たまには体を動かさなきゃ、と思ったもののバテた。
15時頃には江戸川区の会社へ行き、午前の仕事の関連でまたまた肉体労働。
パソコンの箱、900箱近くをばらした。出て来る出てくる発砲スチロール。あっという間に、ものすごい山ができた。
その山の中を楽しそうに泳ぐY君。何となく気持ちはわからなくもない。
いや、やっぱりわからん。健康に悪そうだ。
むかしむかしの話。
まだ中学生だった頃、友人3,4名で新宿へ行った。今は亡き、新宿のディスクロードというレコード店主催のビデオ・コンサートに行くためだ。
当時は市販のビデオなんてあるわけもなく、海外ミュージシャンの動く姿を見るには、来日コンサートに行くか、たまにテレビで放映される機会を待つくらいしかなかった(例えばNHKのヤング・ミュージック・ショー)。
このビデオ・コンサートは2,3回見に行ったが、なぜか一番印象に残っているのはテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リー。妙にかっこ良かった。
で、コンサートへ行く前の腹ごしらえに東口のマクドナルドへ行った。そこで各々が注文する。その中でゲーリー・セイン(ユーライア・ヒープのベーシスト)のヘアスタイルが大好きだった、I田くんがいた。
I田「すいません、ハンバーガーとビッグマックで」
店員「お飲み物はいかがですかぁ?」
I田「はい、ハンバーガーとビッグマックね」
店員「ええ、でお飲み物は?」
I田「だからねえ、ビッグマック!」
店員「だからお飲み物は??」
I田「ビッグマックだよぉー!!」
私達は、I田くんがマックシェイクを頭に浮かべながら「ビッグマック!」と連呼していることに気づき始めたが、おもしろいのでずっとやりとりを聞いていた。
ロック少年、I田くんも熱いが、35年前のマックの店員も熱い。アホな応酬が続いた。
今までの話は全く関係ない。
ビッグ・マックはブルース界にもいた。
“Big Mac / Rough Dried Woman”、 P-Vineの「シカゴ・ブルースの25年」 でもCD化されているようだが、白眉のシャウター、ビッグ・マック氏!
何よりも凄いのは、バックでギターを弾きまくるヒューバート・サムリン!!もちろん、こちらがお目当て。
ちなみに、池袋のサンシャイン・シティにあるマクドナルド (奥にある方)、ブルース・ファンの方、一度は行ってみたら?
何度も書いているが、ちょうど一年前に我が社はリストラの嵐が駆け抜けた。我が社、というか我が部である。社会情勢に対する自助努力が足りず、結局我が部は廃部となった。
2007年2月21日、役付者20名ほどだったか、本社へ呼ばれ事の次第の説明を受け、解雇となる旨の説明を聞いた。その部の中でも、ちょっと毛色の違う部署にいた私を含めた3名は、翌々日に解雇の撤回を聞く。
その後、解雇者同様に部長、部長代理も退職した(当然だが)。なぜかナンバー3の次長が他の数名と契約社員として残った。一年後に正社員として復帰するという噂も。
昨日、この4月1日付けで復帰すると言う話を正式に耳にした。
なんと言う・・・。絶句である。昨年、社長(当時は部長)に「犯罪者をなぜ契約社員に残す!?」と詰め寄ったが、黙ったままだった。
今の部長にも「この会社は一般常識が通用しないのか?」と言っても、聞く耳無し。何か裏取引でもあるんじゃないかと邪推してしまう。
解雇された者も、未だ失業中の身であったり、倉庫内でのバイトで食いつないでいたり・・・うまく転職できた者などほんの一握り。だから余計に頭に来る。結果として会社に残れた自分自身も彼らに申し訳ない気持ちでいっぱいなのに。
結局、押し切られた形の労組も、OBとして情けない。
会社に対する、夢も希望もなく、かと言って現在の職場はそれなりに「やりがい」はある。今度はこちらが会社の話に聞く耳をもたない番だ、と考えてしまう。
幸い予算に対して利益はかなり残せている。好き勝手にやらせてもらうかな。
昨日は個人的に胸のつかえがおりた話題があったのだが、会社の嫌な話で台無しにされた。
今朝は今朝で、丸の内線が車両トラブルのために、30分以上止まった。池袋の改札はぐちゃぐちゃ。
立ち寄りのため、いつもより家を少々遅く出たのが仇になった。初体験の振替輸送で何とかなったが、急に昨日のことを思い出し、またムカムカしてきた。
おまけに、今日の仕事もいろいろあって、イライラは高まる一方だ。
また、飲んでしまう・・・。
最近めっきり日曜出勤が苦にならなくなってきた。
日曜は通勤電車も空いているし、事務所にはほぼ誰もいないので気楽だ。
昨夜のリハ後の深酒 が祟り、かなりの二日酔いで這うように出勤した私。午前中はほぼ使い物にならなかった。
午後から、社有車で大手町まで出動。
本日も昨日に負けないぐらいの強風だ。JRは止まりまくっているようで、軽のワンボックスカーという風の抵抗をまともに受けそうな車では高速道路に入るのも恐ろしいので、少々早めに出発して下を走る。
それにしてもすごい風。横風を受けると車が横へ流される。まさに手に汗握り、ハンドル握る状況。
先週の深夜リハ後、そのまま出勤して会社へ置きっ放しだったES335を本日持って帰る。
今日は写真ネタがないので、会社の私の椅子に座る335クンをパチリ。
昨日、新宿で飲んで帰宅すると「おお!そうだ明日は休みじゃないか!」と思い、一人で明け方の4時頃まで飲んでしまった。
痛てててて。頭痛が・・・。一人で飲んで二日酔いとは情けない。いかん!今日は次女の授業参観日ではないか!
1時間目「音楽」、2時間目「国語」、3時間目「道徳」とのことで、
娘:「あのね、2時間目だけ来なくていいよ」
そんな器用な真似はできません。はっはっはっ全時間制覇じゃ。
音楽室なんて久しく入ったことがない。
ベートーベンやらモーツアルトやらの絵が飾ってあるのはどこの学校も一緒。
この手の絵を貼るのは義務付けられているのでしょうか?
やはり音楽界の巨匠として、バッハの隣あたりにロバート・ジョンソンの写真でも並べるというのはまずいんだろうか。
ちゃんと帽子かぶってビシッとスーツきめてるやんけ 。
うーん、でもギャングにしか見えないか・・・・・。
授業参観も終わり、家族で外食。それから長女の大好きな「BOOK OFF」へ行く。
店内からふと外を見ると、風がビュービュー!空は真茶色!どうやら「春一番」の登場らしい。
「あぁ~!洗濯物がぁ・・・・」天を仰ぐ妻。
そして嵐の中、お父さんはリハのためスタジオへ向かうのであった。
新宿で飲む。小安田憲司 氏と岡地曙裕 氏と。最近、この面子でよく飲む。
うーむ、オレ交友関係乏しいのかな~。
いや、楽しく飲めるというのは一番です。気兼ねなく、昔話から諸々の話題までいい感じで付き合ってもらえる友人は宝である。
宝を失って、初めて気づく試練も最近味わった。いや、味わっている。
人を敬い、自らも成長する。この歳になっても前向きに生きなきゃ楽しみもなくなる。
ちょっと愚痴ってしまったが・・・。
彼らは私にとって大きな存在である。元気にさせてくれる両名に感謝。
3名で居酒屋に入る前に、元気にさせてくれるもう一人の旧友と会った。
ファビュラス・ソウル・シンガー、LEO さん。
ノリは昔と変わらないねぇ。若いよ、うん。
でも話題は「物忘れ」。う~~~ん・・・。
先週、京都のライブでお転婆したらしい。
捻挫したのも気づかずステージをこなし、打ち上げも大暴れ、ホテルに戻って「象の足になった右足」に気づき激痛に耐えつつ帰京したらしい。この日もまだ痛々しく足を引きずる。
喫茶店の階段を辛そうに降りる姿に感動した私は、思わずデジカメでパチリ!
「はっはっはっ!撮ってやったぞ!はっはっは!ブログネタだ!!」
「げっ!や、やられた・・・」
悪いことはできません。写真の出来は失敗でした。
象の足になったLEOさんの後ろ姿、撮り損ないました・・・。次回はよろしくお願いします。
欄外のプロフィール欄にもあるように、私はすっかりCD時代の波に乗り損なってしまっている。
音楽の世界から離れ始めた頃が、LP~CDの過渡期。いまさらCDに買い換えようとは思わないが、未発表やら別テイクやらが2,3曲入っていたりすると悔し泣きしながら、たったそれだけの為に買い換えられるかいっ!となり、それがいろんな形でベスト盤やらになってくると、もうわけがわからない。
で、わけがわからないので買い控える、というケチな発想に落ち着いて未だにLPのお世話になっている。
そもそも、あのプラスティックケースが嫌だ。落とすとすぐ割れるし。
やっぱり30センチ四方の大画面(?)でアルバート・キングの鼻の穴を拝みながら “So Many Roads / Otis Rush” を聴くのが男っちゅもんよ(”Door To Door”)。
で2,3日前に Little Willie John をむせび泣きながら聴いていたら 、やたら耳につくアンプのガリに辟易して即座にヤフオクで中古美品プリアンプをゲットした。
昨夜、葬式から帰宅すると早速到着していた。なんと素晴らしい出品者の方であろう。
何とか明日セッティングしたいものである。
そう言えば、レコード針換えたのはいつのことだったか。
うっ!記憶にないほど遠い昔のような気が・・・・・。
先々代社長のMさんのお通夜に行った。
斎場は横浜。と言っても横浜町田インターのそばで、交通の便はきわめて悪い。
17時半すぎに会社を出たが、長津田からタクシーで到着したのが、お通夜開始から30分ほど経った19時半頃。
聞くところによると、ここ2年ほど入院されていたらしい。
社長を退任してから、1年間代表権を持って会長を努められたが、表舞台に出る役目はすべて新社長に移譲され、会社へ来る日も日々減って最後退任するときはすっかり衰えた姿になっていた。
労使間でいろいろお世話になったこともあり、退任される前、最後のご挨拶に伺ったときはすっかり老人の眼になっていて、私が会長室に入っても一瞬「誰?」という顔をされていた。
ただ、遺影はバリバリの社長時代のものと思われる、かくしゃくとした写真だった。
この1ヶ月の間に、3回の葬式。こういう時でないと滅多に会えない人たちとの懐かしい再会の場であることは間違いない。
お清めの場で、Mさんの後任で昨年まで社長を務めたMI前社長や、大先輩である35年前の労組委員長Nさんらと旧交を温め、早々に退席した。
でも、もう今年の訃報は打ち止めにしてもらいたい。